2017年のブログ


【第12回】ぶらっと 築地「文明開化・昭和レトロの街(12/16)」をやりました!

≪築地の由来~江戸時代≫

1.築地本願寺

 

元和3(1617)年、浅草横山町に建立され、「浅草御堂」と呼ばれました。

しかし、明暦3(1657)年の明暦の大火で本堂を焼失。

 

その後、幕府による区画整理のため、旧地への再建が許されず、代替地として「八丁堀沖の海上」が下付されました。

そこで佃島の門徒が中心となり、本堂再建のために海を埋め立てて土地を築き、延宝7(1679)年に再建され、「築地御坊」と呼ばれました。(この埋め立て工事が地名「築地」の由来)

佃島の門徒である漁師たちは「生きるためには殺生を禁じない」浄土真宗を崇拝したようです。

 

大正12(1923)年9月1日の関東大震災で起こった火事により、再び焼失。

現在の本堂は昭和9(1934)年、古代インド様式をモチーフに、伊東忠太の設計で竣工されました。

象、牛、クジャク、、羽の生えたライオンなど、不思議な動物たちが飾られています。

 

合同墓

遠方に親族の墓があって、”これから先、墓の面倒を誰が見るのか” といった心配がある方のために「合同墓」が設けられています。

ここは宗教は問わないので誰でも申し込むことが出来ます。

最近、このような問題が多くなっており、私自身も考えていかなくてはならない状況にあります。

これも解決方法の一つかと思います。 

 

 


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ぶらっと「青梅」昭和レトロ散歩

1.昭和の街「青梅」

 

新宿から中央線で1時間ちょっと。

ここは、れっきとした「東京都」です。

 

青梅駅に着くと、いきなりホームの待合室がレトロ感満載。

 

木造の壁に昭和30年代の古い映画の看板が掲げられています。

今風のデジタル画像ではない「手書き」が魅力的。

 

駅入り口には天才バカボンのパパの像。

この街には漫画家の赤塚不二夫さんの関連する施設もあるのです。

「それでいいのだ!!」

 

 


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12/16(土) ぶらっと東京食べ歩き「築地」のランチを変更します!

先日ご案内した12月16日(土)開催予定のぶらっと東京食べ歩き 築地「文明開化・昭和レトロの街」のランチ内容を変更します。

 

この頃、特に寒い日が続きますので、歩いた後は温かいものがいいですよね。

そこで、あったか鍋「鯛ちり鍋」メインの料理に変更します。

 

「鯛」のふわっとした身や白菜他の野菜を ”はふはふ” しながら食べた後は、その旨みがたっぷり出た出汁で作る「雑炊」。

 

冬はこの雑炊が最高です。

是非、ご賞味あれ!

 

ランチ内容以外、集合場所・時間、会費は変更ありません。

ランチ会場を変更することから、解散場所は日比谷線 築地駅(集合場所と同じ)になります。

 

       


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ぶらっと築地 レトロ散歩(下見)

1.築地本願寺と築地の歴史

 

元和3(1617)年、浅草横山町に建立されたが、明暦3(1657)年の明暦の大火で本堂を焼失。

その後、幕府が区画整理のため、代替地として用意したのが八丁堀沖の海上でした。

そこで佃島の門徒が中心となり、本堂再建のために海を埋め立てて土地を築き(この埋め立て工事が地名「築地」の由来)、延宝7(1679)年に再建されました。

 

そうか、この築地本願寺が「築地」の誕生に大きく関わっていたんだなぁ。

 

 


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【第11回】ぶらっと東京食べ歩き「越中島~清澄庭園(11/4)」を終えて

11月4日(土)ぶらっと東京食べ歩き「越中島~清澄庭園」を実施しました。

ぶらっと散歩も2016年2月に初回を実施して以来、お蔭様で今回で11回目となりました。

今後も20回目指して、面白いコンテンツをお届けできるよう頑張りますので宜しくお願いします。

 

1.深川、越中島の由来

(深川の由来)

徳川家康の入国により、天正18(1590)年から開削が進められていた小名木川の北側を摂津国出身の深川八郎右衛門が開拓し、慶長元(1596)年に深川村を創建した。

 

(越中島の由来)

江戸時代初期、播州姫路の領主 榊原越中守が島状の土地に屋敷を持っていたところから「越中島」と名付けられた。

その後、忍藩 松平下総守の領地となった。

 

(なぜ、榊原越中守から松平下総守へ代わった?)

榊原式部大輔が吉原 高尾太夫を身請けしたことが幕府にばれて、自身は隠居、領地も姫路から越後高田に国替えとなった。

その後、高尾太夫は越後高田で62歳の長寿を全うしたと伝わる。

身請け代は1800両(現在の貨幣価値で約2億円?)だったと聞く。

この結果がよかったのか、とんでもないことだったのか、この殿様のみぞ知る・・・

 

国替え後の高田藩榊原家の中屋敷が現在、上野にある「旧岩崎邸庭園」の場所になる。

あの岩崎弥太郎が買い取った場所である。

 

本日、最終地としている清澄庭園も岩崎弥太郎が購入したところ。

 

何やら見えない糸で結ばれているような気がする。。。

 

 


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奥浅草ディープ散歩

東京青年会議所台東区委員会主催の「下町から世界へ」に参加しました。

台東区の魅力をアンバサダーと呼ばれる方達が伝える手作りツアーです。

地元の方しか知らないような場所へ行ったり、普段できないような経験が出来て、最高でしたよ!!

 

1.千束稲荷神社

 

当神社は樋口一葉の名作『たけくらべ』の舞台の一つになっており、ゆかりの神社として境内には樋口一葉の文学碑があります。

 

碑文

明日ハ鎮守なる千束神社の大祭なり今歳は殊に

にぎはしく山車などをも引出るとて人々さわぐ

                    樋口夏

 

『たけくらべ』は明治の吉原が舞台となっており、しっとりしたストーリーが心に沁みます。

 

 


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天空の城(備中松山城)に再チャレンジ

1.天空の城(備中松山城)

 

こんな風景が見られるはずだった。

しかし・・・、実際に見えたのは雨の中、真っ白な雨霧だけ。

雲海は全く見られず。

これは看板の写真でした・・・スミマセン。

 

この前、7月に来たときは暑い真っ盛りで、とても雲海が出る雰囲気ではなかった。

あの時、地元の方から「秋から冬にかけて出るよ」と言われ、雨の中25分、山道を必死で登ってきたが・・・

 

地元の人に聞くと、雨上りの翌日、気温が下がった日によく出るらしい。

また次の機会に楽しみは残しておこう(笑)

 

 


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【第10回】ぶらっと東京食べ歩き「麻布十番 坂道散歩(9/16)」を実施しました!

ぶらっと東京食べ歩き「麻布十番 坂道散歩(9/16)」を実施!

(麻布七不思議の秘密に迫る街歩き)

 

1.十番稲荷神社

竹長稲荷と末広神社が戦災焼失して、両社が合併し、十番稲荷神社と改称した。

 

こちらの狛犬は昭和12年にコロンビアの歌手だった音丸さん(本名 永井満津子)により奉納されたもの。

音丸の芸名の由来は”音は丸いレコードから”という洒落だったらしい。

 

鳥居は喜劇俳優 榎本健一氏と市川産業の社長 市川要吉氏から奉納されたもの。

 

どちらも麻布十番に縁のあった方達で、この地を愛していたんだろうなぁ。

 


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ぶらっと「麻布十番」食べ歩き!

1.「ぶらっと東京食べ歩き「麻布十番 坂道散歩(9/16)」の下見

 

まずは麻布十番7番出口を出てすぐ

東京3大たい焼きの一つ「浪花家総本店」

 

店名の由来は、初代神戸清次郎が大阪出身だったため、

故郷にちなんで浪花家と命名された

創業は明治42(1909)年

 

パリッと、香ばしくこげた薄い皮と

ほどよい甘さの小豆の風味が特長

 

製法はもちろん天然もの(一つずつ金型で手焼きする一丁焼き)

 

もちろん、出来たてを店内で、ほおばるのが最高ですが、

今回は家に持ち帰ってからの試食だったため、

オーブンで2分くらい温めてからいただきました

 

皮のパリパリ感が増し、これもなかなか美味です

 


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「三軒茶屋」をぶらっと散歩

三軒茶屋駅の交番前にあった看板
三軒茶屋駅の交番前にあった看板

1.三軒茶屋の名前の由来

 

江戸時代、神奈川県丹沢の大山のある阿夫利神社へ

雨乞いに行く大山詣が流行し、多くの人の通行があった

 

その道中、大山道の本道(旧大山道(本道)[現 世田谷通り]と

新大山道(近道)[現 玉川通り(R246)]の分岐点に

①信楽(後の石橋屋、石橋楼)

②角屋

③田中屋

の三軒の茶屋があった

 

ここを、休み処の目標に「三軒茶屋」と呼ばれ出したのが始まり 

 


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天空の城「備中松山城」をぶらっと散歩

1.天空の城「備中松山城」

 

ずっと前から一度登ってみたいと思っていた

 

50年以上前、今は亡き父に

車で連れて行ってもらった記憶が、

かすかにあった

 

また大河ドラマ「真田丸」のオープニングに

使われた城だと聞いてますます行きたくなった

 

天空の城と言えば、他にもあるが、

天守が残っている山城は珍しい

 

これは見に行かなくてはなるまい

 

 

 

 

 


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戦争の遺構を訪ねる多摩散歩

今年も終戦記念日が近づいてきた

 

今でも東京にはいくつか戦争の遺構が残っているが、

今回は東京西部(多摩地区)にフォーカスして訪ねてみた

 

1.陸軍燃料廠・在日米軍府中基地

2.日立航空機立川工場変電所

3.大沢掩体壕(えんたいごう)

 

 

 

 

 

 

 

 


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【第9回】浅草・吉原跡ディープ散歩(7/2)のご報告

出典 国立国会図書館「東都名所 真土山之図」
出典 国立国会図書館「東都名所 真土山之図」

1.『待乳山聖天』(1)

 

7/2(日)、浅草・吉原跡ディープ散歩スタート

 

「ぶらっと東京散歩」では珍しく天気良好(暑いくらい)

 

まずは東武浅草駅前を出発

徒歩10分ほどで「待乳山聖天」に到着

 

由緒は595年、この土地が突然小高く盛り上り、金龍が舞い降りて、山を護ったと伝えられている。

 

浮世絵にも描かれているように、江戸時代には隅田川を一望できる景勝地として親しまれたと伝えられる

 

浅草名所七福神の一つで毘沙門天を祀っている

 

 

 

 

 


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「吉原跡」ディープ散歩と美味いもの

『珈琲屋バッハ』

 

東京でも美味い珈琲を飲ませることで有名なお店

 

小生はこちらのことは知らなかったが、ある書店でここを教えてもらった

 

カウンターに座ると、目の前で淹れてくれる

 

珈琲のいい香りがしてきて、期待が高まる

 

一口飲んでみる

濃過ぎず、苦みと酸味のバランスもよく、飲み易い珈琲だ

 

一緒に頼んだトーストがこれまた絶品

外が「パリッ」、中は「もっちもち」

 

パンも購入できますよと言われ、思わず買って帰った

           

ここの珈琲は沖縄サミットの晩餐会で出されたらしい

うーん、納得!!

 


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土佐から龍馬が来たぜよ!「坂本龍馬展」

高知県立坂本龍馬記念館がリニューアルのため、

一年間休館となっている。

その間、国内4ヶ所で巡回展を開催することになり、

6/1~6/25までホテル雅叙園東京で開催中。

 

龍馬直筆の手紙や愛刀、

そして近江屋で、龍馬が暗殺された

最期の場面の様子が分かる動画も

見られるなど、龍馬ファンなら

ワクワクすること間違いなし!

 

尚、今回の展示では、ほとんどが撮影OKなので

さらに楽しめます。

 

 


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坂本龍馬に巡り合う「鞆の浦ぶらっと散歩」

小生の故郷 広島県福山市鞆の浦

に久しぶりに行った

 

1.常夜燈

鞆の浦のランドマーク

船の出入りを誘導する燈台

 

現存する江戸期の常夜燈では

日本最大級の高さを誇る

 

海の香りが心地よい

 


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「浅草~吉原跡」ぶらっとディープ散歩(2)

「山谷掘公園」

 

かつて、ここは吉原通いの人々が行き交う土手だった

 

船を仕立てて、このコースを使うのは

当時でも贅沢なもので、豪商のように

お金持ちの遊びだった

 

またこのような人たちが集まるので

文化・流行の発信地となっていたのだろう。

 

当時、今戸橋他9つの橋があったが、

今は暗渠となり、橋は全て取り除かれ、

現在は橋台のみが面影を残している

 

昔、この吉原を目指した人たちは

ワクワクしながら

この道や堀を進んでいたのだろうか?


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7/2(日) ぶらっと東京食べ歩き「浅草~吉原跡 ディープ散歩」を実施します!

初夏の陽気となり、暑い日が続きますが

いかがお過ごしでしょうか

 

これからは梅雨のシーズンに入り、

雨がちょっと心配ですが

街発見くらぶの「食にこだわる街歩き」

はいかがですか

 

今回は浅草

浅草と言っても浅草寺や仲見世通りなど

皆さんがよく行かれるところには行きません

 

江戸時代から昭和まで続いた

「吉原」があった場所を巡る散歩です

 

江戸幕府開設間もない頃

現在の人形町あたりに許可された

吉原遊郭が誕生しました(元吉原)

 

しかし、明暦の大火(1657年)で焼失した吉原は

この地に移転してきて、昭和の時代まで

続いてきました(新吉原)

 

浮世絵などにも見られるように

吉原は江戸文化・流行の発信地であったと同時に

悲劇の歴史を繰り返してきた場所でもあります

 

このような思いを巡らしながらの「ぶらっと散歩」

 

お待ちかねのランチは

小生が偶然見つけた九州大分料理のお店で

あなごを専門にする「あな太朗」

 

こちらでは珍しい「あなごの刺身」もいただけます

またあなごだけでなく、九州の美味い料理も味わえます

 

小生は昔から「雨男」で、

さらに7月2日は梅雨の真っただ中

雨が心配ですが、雨天決行でやりますので

宜しくお願いします!

       


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【第8回】「柴又」でぶらっと東京食べ歩きしました!

「ぶらっと東京食べ歩き(5/20)」では、

珍しく天候にも恵まれて

楽しい1日を柴又で過ごした

  

駅前で寅さん、妹さくらの像の前に集合して、スタート

 

映画「男はつらいよ」で寅さんが必ず言うセリフ

 私 生まれも育ちも葛飾柴又です

 帝釈天で産湯をつかい、

 姓は車 名は寅次郎

 人呼んで フーテンの寅と発します

 

さあ、昭和の名作「男はつらいよ」の世界にどっぷりつかって

 ・ちゃぶ台を囲んだ家族みんなでの夕飯

 ・人を思いやる気持ち

 ・切ない恋

とか思い出しながら、ぶらっと散歩


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ぶらっと「浅草~吉原」ディープ散歩

「待乳山聖天(1)」

 

浅草駅から江戸通りを10分ほど歩くと待乳山聖天がある

正式には「待乳山本龍院」

 

聖天とは歓喜天のこと、歓喜天は密教の神で、

これに祈ると夫婦和合や良縁にご利益があるらしい

 

 

 


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ぶらっと東京散歩「合羽橋」

「かっぱ橋」の名前の由来

 

200年ほど前、この辺りは水はけが悪く、よく洪水に見舞われていた

 

そこで合羽屋喜八という商人が私財を投げ出し、治水工事を始めた

しかし、工事は困難を極め、なかなか捗らなかった

 

それを見ていた隅田川の「かっぱ」が夜な夜な現れて工事を進め、

お蔭で完成することが出来た

 

その「かっぱ」を見た人は運が開け、商売が繁盛したと言う

 

それで合羽橋(かっぱばし)という名前がついたらしい

 

この付近にはいろいろな「かっぱ」が出没する


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呑兵衛のパラダイス「清龍酒造」

JR宇都宮線 蓮田駅からバスで5分の場所にある

慶応元(1865)年創業の老舗蔵元『清龍酒造』

 

こちらの蔵元見学ツアーはこのあたりでは

知らない人がいないくらい有名

よくテレビ取材もくるらしい

 

お客様を大事にして「これでもか!」というくらいの

おもてなしツアー

 

酒造会社では珍しく、当蔵元での直接販売と

インターネット通販がメイン(流通には卸していない)

これは、お客様からの生の声を聞き、

それを酒造りに活かすという会社の方針らしい

 

また都内に直営の居酒屋を経営しており、そちらでも楽しめる


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柴又帝釈天参道の美味いもの巡り

半年先の清澄庭園「涼亭」予約の抽選に行くも

またもやNG! これで4回目、先は長いぞ!

 

ということで、またもや一人残念会で柴又へ

 

寅さんが「もう少しだ、頑張れよ!!」

と言ってくれてるような気がした


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御茶ノ水から神保町をぶらっと散歩

明治大学博物館
明治大学博物館

1.明治大学

 

(御茶ノ水)

徳川2代将軍秀忠が鷹狩の際、

井戸から湧く名水でお茶を飲んだのが地名の由来

 

現在の明治大学は江戸時代、大身旗本 中坊陽之助の屋敷があった場所

松尾芭蕉がこの中の蔵に仮住まいしていた

 


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柴又をぶらっと散歩(2)

1.柴又帝釈天 [経栄山 題経寺(きょうえいざん だいきょうじ) ]

 

柴又七福神うちの毘沙門天にあたる

 

また、彫刻の寺としても有名

 

寅さんが産湯をつかったという御神水がある

 


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柴又をぶらっと散歩(1)

1.寅さんの像

 

『男はつらいよ』シリーズを何度見ただろうか?

 

日本各地の風景、鉄道、人と人との人情

どれを見ても”ほっとする”気持ちになれる

 

テキヤ稼業を生業とする「フーテンの寅」こと車寅次郎が、

何かの拍子に故郷の柴又に戻ってきては、何かと大騒動を起こす

お決まりのコースで、ハッピーエンドにならないところも面白い

 

ちゃぶ台とか出てきて、日本人が昭和の香りを思い出せる

 

最近、この昭和の香りに惹かれるようになった、歳のせいかな。。

 

この像の左足に触れると、ご利益があると言われているため、

みんながさわり、いまでは金色に光るようになったらしい

 

 

 


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渋谷 昭和レトロ物語

昭和32年のハチ公 出典:渋谷の記憶Ⅲ
昭和32年のハチ公 出典:渋谷の記憶Ⅲ

1.ハチ公物語

 

ハチ公は大正12年11月、秋田県生まれ。

東京の飼い主 東京帝国大学上野教授宅には大正13年1月に来た。

現在の東急百貨店本店の近くである。

上野博士は翌年大正14年5月に急死したので、共に生活したのは、わずか1年5ケ月だった。その間、博士はハチ公に人間に対する以上に深い愛情を注いだ。

博士亡き後、ハチ公は奥様の実家世田谷で飼われていたが、馴染めなく、鎖を切り離して渋谷駅に来ていた。困った奥様は植木職人の小林家に預けたが、やはり居つかず、昭和6・7年頃は渋谷駅長に飼われていたという話もある。

初めてハチ公が世間に知られたのは昭和7年10月4日付朝日新聞に「渋谷駅で亡き主人を待ち続けるハチ公」の姿が紹介されてからである。

最初の銅像が立ったのは昭和9年4月21日、まだハチ公が生前中に建てられた。

その翌年昭和10年3月8日、渋谷区中通り3丁目で死んでいるのが発見された。

生前、上野博士を慕い、他の誰にも飼われることを嫌い、渋谷駅で亡き主人を10年近く待ち続けた、忠犬ハチ公の最期だった。

 

 

 


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【第7回】ぶらっと東京食べ歩き「新選組の故郷 日野」(3/19)実施報告

 第7回「ぶらっと東京食べ歩き」は「新選組の故郷 日野」

 

≪新選組が生まれた背景とこの日野周辺の土地柄≫

この地域には戦国時代主君を失った武士が多く住んでいた

彼らは「草分け百姓」と呼ばれ、やがて豪農や名主も生まれてきた

八王子周辺ではこれら1000人の武士を集め、八王子千人同心を作る

彼らの仕事は日光東照宮の火の番で、普段は百姓身分だった

更にこの地域は幕府直轄だったので、将軍への特別な思いがあった

 

土方歳三はこのような環境で育ったことが、後の新選組での活動のベースになっていたのかもしれない

 

またこの日野周辺多摩の出身だった近藤勇、土方歳三、井上源三郎、そして新選組を物心両面で支援した佐藤彦五郎(歳三の義兄/いとこにも当たる)はある意味、親兄弟よりも濃いつながりで結ばれていたと言える

 

写真出典 国立国会図書館


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日野~高幡不動のちょっと美味しいもの

日野散策途中で立ち寄った「Cafe 花豆」

 

こちらは新選組副長 土方歳三と関わりがある

 

歳三の姉 のぶが嫁いだ日野宿名主 佐藤彦五郎

その彦五郎の四男 彦吉さんが養子に行った先が有山家

その有山家ご子孫である現当主の弟さんご夫婦が経営されている

 

靴を脱いであがると、そこは普通のリビング

窓の外には八ヶ岳を思わせるような広い庭

 

アットホームなCafe

店主の至さんが話好きで色々なお話が聞けるのも大きな魅力


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土方歳三と日野 (「3/19ぶらっと東京食べ歩き 日野」 の下見を兼ねて)

「殉節両雄之碑(近藤勇と土方歳三を顕彰する碑)」(高幡不動尊)

 

この碑が建立されるまでにはいろいろな話が残っている

 

明治7(1874)年の太政官達により、新政府軍に刃向った人達の

祭祀・慰霊が許されることになり、日野でも近藤・土方の

支援者・近親者を中心に明治9(1876)年から建立の準備を進めた

 

しかし、その内容が当時、賊軍扱いされていた両氏の顕彰碑で

あったため、神奈川県令の許可が下りず、結局12年の歳月を経て

明治21(1888)年にようやく建立された

 

 


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代官山~渋谷でレトロな街発見

1.渋谷から一駅の神泉駅前

 

かつて神泉には豊富な湧水があり、

ここに弘法湯があった

 

 

 

 

 

 

 


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鬼の副長 土方歳三

「日野市立新選組のふるさと歴史館」を訪れた

 

日野という土地柄なくしては

土方歳三はなかったかもしれない

 

新選組の誕生にも関わった日野の歴史を

3/19の「ぶらっと東京食べ歩き」ではふれてみたい

 

左記の土方歳三の写真がもしも残っていなかったら

現在のような人気があっただろうか

 

現在でも「イケメン」で通じる土方歳三

歴史の教科書では分からない土方の胸の内を想像してみたい

 

当人が考えていたことは、本人以外は分からない

たとえ、「書」が残っていても、それが真実の声だとは限らない

 

なぜなら、「かっこつけて」書いてるかもしれないから

 

だから、想像するしかない

「本当に土方歳三が何を考えていたのか」

 

 *エントランスの写真

 

 

 


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ぶらっと東京食べ歩き「新選組の故郷 日野(3/19)」をHPに掲載しました!

まだまだ寒さが残る日が続きますが、

風邪などひかないようご自愛くださいませ。

 

そろそろ、暖かくなる3月にはちょっと遠出してみませんか!

 

次回のぶらっと東京食べ歩きは、3月19日(日)、場所は「日野周辺」です。

このあたりは新選組の故郷で、関連する施設がたくさんあります。

特に隊士のご子孫が運営されている資料館は必見です!

 

また、日野周辺のグルメ情報も紹介します。 

是非、みんなでぶらっと散策を楽しみませんか!

 

ランチは高幡不動の住宅地の真ん中にある

隠れ家フレンチです。

 

お店と言うよりは普通のお宅のような外観ですが、

料理は絶品です。

是非ご一緒にいかがですか!

 

facebookでも紹介しています 

https://www.facebook.com/events/1379157665469803/

 


     


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ぶらっと東京食べ歩き「高幡不動」

2月3日、節分の日に「高幡不動尊金剛寺」を訪れた

 

境内で行われた豆撒き式は

著名人が来ていたこともあり、すごい人出

 

同時に、だるま市も開催され、

露店も多く出て、さながら、お祭りのよう

 

このような豆撒き式には初めて来た

「鬼は外、福は内!」

 

 

 

 


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ぶらっと東京食べ歩き「豆大福と大吟醸のマリア―ジュ」

1.豆大福と大吟醸のマリア―ジュ

 

東京3大豆大福の一つ、群林堂の豆大福

 

お店は文京区音羽にあるが、その前に立つと豆の香りがしてくる

 

この豆の香りに釣られて、つい買ってしまう人もいるらしい

 

この大福は豆の間に餅が入っている感じ、とにかく豆が凄いのだ!

 

午後の早い時間に売り切れ必至なので買うのも大変

今日はラッキーだったようだ

 


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ぶらっと東京食べ歩き 早稲田界隈

早稲田界隈をぶらっと東京散歩

 

1.早稲田大学のシンボル「大隈記念講堂」

 

1927年に建てられ、2007年には再生工事が行われ、

 重要文化財(建造物)に指定された

 


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【第6回】ぶらっと東京食べ歩き「神楽坂」(1/8)実施報告

 

今回で6回目になる「ぶらっと東京食べ歩き」

 

過去5回の内2回が雨

当日の天気予報では12時頃から、またもや雨

今回もかと思ったが「晴れ女」のお客様がいて、なんとかランチまで、雨となることはなかった

本当に感謝です!

 

山の手のお洒落な雰囲気と下町の人情味が融合した ”大人の粋” を感じる神楽坂を満喫する街歩き

 

今回参加頂いた7名の内、5名が初参加というメンバーでスタート

 


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ぶらっと東京食べ歩き 元旦の神楽坂

赤城神社や毘沙門天は人が多かったので

奥神楽坂まできて「秋葉神社」を訪ねた

 

ここにある正雪地蔵は江戸時代、小浜藩酒井家屋敷内にあったが、

酒井家移転に伴い、町内に譲られたもの

 

この灯篭に正雪の名がついたのは、この近くの天神町一帯に

慶安の変の首謀者であった由比正雪の屋敷があったことから

結び付けられたと言われている

 

しかし、この近くに豊後の大友宗麟 義乗の屋敷があったこと、

地中に隠されていたことから「キリシタン灯篭」ではないか

と言われている

 

この地蔵尊は「眼病みの地蔵様」として信仰を集めている

 

確かにちょっと変わった形をしている

 

 

 


      


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