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赤城神社や毘沙門天は人が多かったので
奥神楽坂まできて「秋葉神社」を訪ねた
ここにある正雪地蔵は江戸時代、小浜藩酒井家屋敷内にあったが、
酒井家移転に伴い、町内に譲られたもの
この灯篭に正雪の名がついたのは、この近くの天神町一帯に
慶安の変の首謀者であった由比正雪の屋敷があったことから
結び付けられたと言われている
しかし、この近くに豊後の大友宗麟 義乗の屋敷があったこと、
地中に隠されていたことから「キリシタン灯篭」ではないか
と言われている
この地蔵尊は「眼病みの地蔵様」として信仰を集めている
確かにちょっと変わった形をしている
神楽坂の歴史
14世紀頃、群馬県赤城山麓の豪族 大胡氏が今の光照寺周辺に
牛込城を築いたのが神楽坂発展のはじまり
江戸時代になって寛永5(1633)年、大老の酒井忠勝が
矢来町に屋敷を拝領
その後、大老の登城道路として整備された
明治になると武家屋敷が撤去されて、町人のまちとなり
路地などの街割りが現在に至る
行元寺境内からできた花柳界など神楽坂文化はこのように
江戸時代からの街割りの上で発展してきたのである
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神楽坂の一方通行
全国でも稀な午前午後で逆転式一方通行となっている
午前は「坂上→坂下(早稲田側から飯田橋川へ)」
午後は「坂下→坂上」となる
これは田中角栄が目白台の自宅から永田町に出勤し(午前)、
帰宅する際(午後)に便宜を図ったと言われるが、これは
タクシー運転手さんによって広まった都市伝説
花豊
創業1835年、東京で一番古い由緒正しいお花屋さん
お店の横にある創業時の屋号「花屋豊五郎」の石碑
その昔、酒井家に花を届けに行った時、
客間に飾るものなので、表玄関から入ったそう
それが先代の自慢だそうです
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芸術倶楽部跡
明治39(1906)年、島村抱月は坪内逍遥の文芸協会に参加し
西欧演劇の移植に努めたが、妻子ある抱月と看板女優 松井須磨子との
スキャンダルで、逍遥との関係が悪化
これで抱月は同協会を脱会し、女優松井須磨子とともに、
大正2(1913)年7月に創設した芸術座の拠点 芸術倶楽部の跡である
しかし、抱月は大正7(1918)年11月15日、
流行性感冒から肺炎を併発して、
この倶楽部の一室で死去した、享年47歳
傷心の須磨子は翌大正8(1919)年1月5日、この倶楽部の道具部屋で
あとを追った
これにより芸術座は解散となった
兵庫横丁「和可菜」
多くの作家達がここに宿泊したことで知られている
山田洋二、野坂昭如他多くがここで執筆活動を行った
経営者は女優の小暮美千代さんの妹さんで、大変行き届いた
気遣いが作家達の筆を進めさせることで評判があった。
現在は残念ながら閉店している。。
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牛込見附跡
寛永13(1636)年、築城された江戸城の門の一つ
工事は徳島藩蜂須賀家が担当した
神楽坂では夏に阿波踊りが催され、縁を感じる
ぺこちゃん焼
40年前に誕生したぺこちゃん焼
かつては全国の不二家でも見られたが
現在は不二家飯田橋神楽坂店だけ
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