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戦争の遺構を訪ねる多摩散歩

今年も終戦記念日が近づいてきた

 

今でも東京にはいくつか戦争の遺構が残っているが、

今回は東京西部(多摩地区)にフォーカスして訪ねてみた

 

1.陸軍燃料廠・在日米軍府中基地

2.日立航空機立川工場変電所

3.大沢掩体壕(えんたいごう)

 

 

 

 

 

 

 

 


1.陸軍燃料廠・在日米軍府中基地(1)

 

『京王線 東府中駅』

歩いて20分くらいのところ、

時代から取り残されたエアーポケット

に迷い込んだような場所があるらしい

 


1.陸軍燃料廠・在日米軍府中基地(2)

 

『航空自衛隊府中基地』

 途中にある「航空自衛隊府中基地」の正門そばに

2機の戦闘機が展示してある

塀越しに誰でも見ることが出来る

 

『国有地につき、侵入を禁ず』

昭和14(1939)年、

このあたりには

帝国陸軍燃料廠が設置され、

航空機燃料の研究などが行われていた

 

終戦後は米軍に接収され、

極東第五空軍司令部と在日米軍司令部が置かれた

 

昭和39(1964)年の東京オリンピック時には

代々木の米軍住宅(ワシントンハイツ)が

選手村となったため

代替地として、この地に宿舎などが建てられた

 

そして昭和48(1973)年、

この土地は通信施設を除いて

日本に返還された

 

その後、この地には府中の森公園、

府中の森芸術劇場、府中市立浅間中学校、

航空自衛隊府中基地などの施設が次々と出来て

緑豊かな文化発信の地として発展してきた

 

しかし、その北側の広大な土地は

現在も国有地の看板が建てられ、

深い森に包まれて、

そこだけ時の流れが止まったかのように

廃墟化している

 


1.陸軍燃料廠・在日米軍府中基地(3)

 

『パラボラアンテナ』

住宅地に隣接した深い森の中に

巨大なパラボラアンテナ2基と

鉄塔が1基立っている

 

これは昭和32(1957)年に

米軍によって建設された通信施設

 

巨大なパラボラアンテナは

対流圏散乱波通信(トロポスキャッター)に

使われていたらしい

 

アンテナの直径は約14m、動いていないようである

 

この眺めは隣接する住宅地の風景とは

どうしてもなじまない・・・


2.日立航空機立川工場変電所(1)

 

初めて来た玉川上水駅から

徒歩5分の地にある

都立東大和南公園

 

こちらに戦争の傷跡を

生々しく伝える建物がある

 

 

 



2.日立航空機立川工場変電所(2)

 

この建物はかつて戦闘機のエンジンを

制作していた工場の変電所跡

 

壁面に残る弾痕は

昭和20年に受けた3回の爆撃によるもの

まさに戦争の傷跡が残っている跡だ

 

その時、工場は壊滅したが、

写真の変電所は爆弾の直撃を受けず、

奇跡的に倒壊を免れた

 

昭和13(1938)年、

東京瓦斯電気工業株式会社が

大森からこの地に移転してきて、

翌年、日立製作所と合併、

航空機部門として日立航空機株式会社を創設、

立川工場「立川発動機製作所」が作られた

 

当時の工場の敷地は

現在の東大和南公園が

この工場の一部に過ぎなかったくらい

広大なものだったらしい


2.日立航空機立川工場変電所(3)

 

『慰霊碑』

終戦後、経営会社は変わったが、

変電所の外壁は改修することなく、

設備は新しくしたものの、

平成5(1993)年まで稼働し続けた

 

その年、一帯を都立公園として整備することになり、

取り壊される危機に瀕したが、

保存の意見が高まり

その結果、東大和市文化財として指定され、

このような形で残ることになった

 

3回の爆撃で工場の従業員や周辺の住民など

110名以上が亡くなったことを記憶に残すため

平成7(1995)年、慰霊碑が立った

 


3.大沢掩体壕(えんたいごう)(1)

 

西武多摩川線多磨駅から徒歩10分、

調布飛行場に隣接した場所に

「武蔵野の森公園」がある

 

調布飛行場は昭和16(1941)年に開設され、

その後、陸軍専用となる

 

 

 


 3.大沢掩体壕(2)

 

翌年、調布飛行場は

本土決戦の首都を守る防空拠点となり、

戦闘機「飛燕」など多くの戦闘機が配備された

 

「飛燕」は、B29爆撃機に対する最後の切り札だった

 

しかし、実際には圧倒的な物量を誇るB29には

かなわず、ほとんど戦果を上げることはできなかったようです


 3.大沢掩体壕(3)

 

掩体壕とは、

戦闘機を敵の空襲から

守るための格納施設で、

全国の軍用飛行場周辺に作られた

 

調布飛行場の周辺には、

武蔵野の森公園内に2基、

府中市内に2基残っている

 

敵機が来襲したら、

戦闘機にロープを結んで

人力で移動したらしい

 

 

 

今回の多摩地区の散歩で、

戦争の遺構を訪ねてみて

まだまだ多くの戦争の傷跡が

都内に残っていることが分かった

 

今後、その他の地域でも

様々な遺構を訊ねてみたい