土方歳三と日野 (「3/19ぶらっと東京食べ歩き 日野」 の下見を兼ねて)

「殉節両雄之碑(近藤勇と土方歳三を顕彰する碑)」(高幡不動尊)

 

この碑が建立されるまでにはいろいろな話が残っている

 

明治7(1874)年の太政官達により、新政府軍に刃向った人達の

祭祀・慰霊が許されることになり、日野でも近藤・土方の

支援者・近親者を中心に明治9(1876)年から建立の準備を進めた

 

しかし、その内容が当時、賊軍扱いされていた両氏の顕彰碑で

あったため、神奈川県令の許可が下りず、結局12年の歳月を経て

明治21(1888)年にようやく建立された

 

 


碑文は仙台藩の儒者 大槻磐渓(ばんけい)

篆額(てんがく)は会津の松平容保

書は幕府の侍医松本順の筆である

 

徳川慶喜は土方の

「唯死あるのみ。即ち寛典に処すとも吾何の面目あって、

 また*昌宣(まさよし)と地下にまみえんや!」

との碑文を見て、涙したと言われている

 

(要約)

今このような状況になってしまった以上、

いさぎよく戦死するだけである。

仮にゆるやかな処分によって、命を永らえたとしても

私はどうして再び地下の*近藤勇と顔を合わせることが

出来ようか!(とても出来ないことだ)

 

 

 


土方歳三資料館

 

土方家ご子孫が自宅を改造されて運営されている私設資料館

 

当日は館長の土方恵様から直接展示品の説明を聞くことができます!

質問等あれば、どんどん聞いてくださいね

 

(展示品)

歳三の愛刀「和泉守兼定」

歳三装着の「鎖帷子」

歳三使用「鉢金」(裏面に土方義豊と刻まれている)

 


佐藤彦五郎 新選組資料館 

 

佐藤家のご子孫が自宅を改造されて運営している私設資料館

 

当日は館長の佐藤福子さんが展示品の説明をされます

お聞きになりたいことがあれば、是非どうぞ

 

彦五郎は歳三の姉のぶと結婚したことから、

義弟歳三は佐藤家によく出入りしており、

新選組誕生後も京の様子など、彦五郎に報告していた

 

(展示品)

歳三愛刀「越前康継」

歳三が死を覚悟した手紙

近藤から譲り受けた「短銃」

函館戦争最期、市村鉄之助に預けた「歳三の写真」

山南敬助の死を伝える「沖田総司の手紙」


日野宿本陣

 

佐藤彦五郎は日野宿名主で、自宅に道場を設け、

近藤勇、土方歳三、沖田総司、井上源三郎など

新選組の創立メンバーが出会うきっかけを作った

 

そして彦五郎は近藤と義兄弟の契りを交わし、

新選組誕生後も物心両面で支え続けた

 

歳三は11歳頃から姉夫婦の家 佐藤家で暮らしていたようです

 

 

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