天空の城(備中松山城)に再チャレンジ

1.天空の城(備中松山城)

 

こんな風景が見られるはずだった。

しかし・・・、実際に見えたのは雨の中、真っ白な雨霧だけ。

雲海は全く見られず。

これは看板の写真でした・・・スミマセン。

 

この前、7月に来たときは暑い真っ盛りで、とても雲海が出る雰囲気ではなかった。

あの時、地元の方から「秋から冬にかけて出るよ」と言われ、雨の中25分、山道を必死で登ってきたが・・・

 

地元の人に聞くと、雨上りの翌日、気温が下がった日によく出るらしい。

また次の機会に楽しみは残しておこう(笑)

 

 


2.大手門跡の石垣

 

迫力ある石垣。

天然の岩盤の上に石垣を築き、更に土塀が建っている。

山城の魅力である「天然」と「人工」のコラボレーションが見事!

 

 

 


3.蕪懸魚(かぶらげぎょ)

 

備中松山城の上層、妻の拝みに取り付けられている装飾。

左右一対の鰭(ひれ)を有する。

今回(平成13~15年)の修理時に取り替えられたもの。

江戸時代の創建材(1683)年と考えられる。

 

 

 


4.天守

 

最も高いところに現存する山城(標高430m)。

二層二階の典型的な山城だが、三層に見えるようなデザイン。

篭城戦を想定し、囲炉裏や装束の間が設けられており、二階には神棚がある。

 

天守は1683年、水谷勝宗によって、大修復されたもの。

(国指定重要文化財)

 

 

 


5.頼久寺

 

草創は不詳だが、暦応2年、足利尊氏が再興して備中の安国寺と号した。

当時、中国から帰朝して備中備後路を巡錫中の寂室元光禅師を迎請して、開山第一祖とした。

後に永正年間、松山城主 上野頼久公が寺観を一新し、大永元年逝去したので、頼久の二字を加えて安国頼久寺と改称した。

 

慶長5(1600)年、小堀新助正次が備中国に一万石余を領したが、慶長9年に逝去したので、一子作助政一(遠州)が遺領を継いだ。

その頃、松山城は備中兵乱の後、荒廃していたので、遠州はここ頼久寺を仮の宿としていた。

その頃の遠州が作庭した枯山水庭園である。

 

備中高梁周辺はこの他にも武家屋敷跡など、本当に見どころが多い。

是非とも次回、雨上りの翌日、気温が下がる早朝、天空の城(備中松山城)に再々チャレンジしようと思います。