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「浅草~吉原跡」ぶらっとディープ散歩(2)

「山谷掘公園」

 

かつて、ここは吉原通いの人々が行き交う土手だった

 

船を仕立てて、このコースを使うのは

当時でも贅沢なもので、豪商のように

お金持ちの遊びだった

 

またこのような人たちが集まるので

文化・流行の発信地となっていたのだろう。

 

当時、今戸橋他9つの橋があったが、

今は暗渠となり、橋は全て取り除かれ、

現在は橋台のみが面影を残している

 

昔、この吉原を目指した人たちは

ワクワクしながら

この道や堀を進んでいたのだろうか?


「明日のジョーの故郷 いろは会商店街」

 

「明日のジョー」の丹下ジムがあった場所は泪橋の下

この近くである

当時はあんな感じだったのだろうか

今でもそんなに人通りは多くない

 

子供の頃、よく見ていたなぁ

このあたりがあの舞台だったんだ

 

力石徹との対決、ものすごい盛り上りだった

 

昭和の漫画は「明日のジョー」だけでなく

「巨人の星」とか骨太だったような気がする

今見ると、随所に昭和を思わせるシーンがあり

違った面白さを感じる

 

 


「土手の伊勢屋」と「さくら鍋 中江」

  

建物は相当の歴史を感じさせる

 

一説では、馬で吉原に遊びにきた客が、

揚げ代の担保としておいていった馬の処分に

困ったあげく、鍋にしてしまったのが始まりらしい

 馬も可哀そうだ・・・

 

その後、吉原に繰り出す前に、

桜鍋を食べて「馬力」つけるのが、

はやりだったとか

 

せっかく大金を払って行くのだから

気持ちは分かる気がする。。。

 

 


「昭和の遊郭の面影を残す建物」

 

メインストリート「仲之町通り」には

ほとんど、当時を思い出させるような建物はない

 

しかし、一歩入ると

当時の雰囲気が感じられる建物を

目にすることができる

 

こんなところにも歴史の証人がいる

 



「浄閑寺 新吉原総霊塔」

 

1855年の大地震の際、亡くなった遊女が

投げ込み同然に葬られたので

「投げ込み寺」と呼ばれていた

 

その後も身寄りのない遊女達を葬り

川柳に「生まれて苦界、死しては浄閑寺」

と詠まれた

 

ここに埋葬された遊女の数は

2万人を超えるらしい

 

慰霊のため「新吉原総霊塔」が立っている

 

また当寺をよく訪れていた永井荷風の碑がある

 

吉原は華やかな世界で

江戸文化の発信地だったが、

このような悲劇を繰り返す

閉ざされた世界でもあった 

 


「雷門」

 

正式名称は風雷神門

 

1795年、雷門の名が書かれた提灯が

初めて奉納されており、

浮世絵の題材にもなった

 

現在の提灯は、

1960年、松下電器(現パナソニック)の創設者

松下幸之助氏が寄進したもの

 

浅草と言えば、この提灯が浮かぶほど

ランドマークになっている


浅草で美味いもの

1.「飯田屋 どぜう柳川鍋」

 

以前、駒形どぜうでドジョウが

そのまま出てくる鍋を食べたことがある

 

今回は、飯田屋さんで、

開いたドジョウを玉子でとじた

柳川鍋をいただいた

 

見た目もソフトで、骨もとってあるので

食べやすく、これならほとんどの方も

違和感なく食べられると思う

 

しょうゆ味で煮たドジョウは

全く臭みもなく、身もやわらかくて

玉子と一緒に口にいれるとふわふわ

 

ごはんと一緒に食べたくなる


2.「あな太朗 あなごドック」

 

浅草を歩いていて偶然に目にした

「あなごドック」の看板

テイクアウトOKとあるが、気になるので

店内で食べることに

 

九州大分料理の店で、

アナゴ料理がおすすめらしい

 

「あなごドック」??

あなごのフライに

ゴルゴンゾーラのソースと

煮あなごに使うたれを

かけた味が絶妙にマッチ

 

想像以上に美味い!