1.4月28日(日)、ぶらっと東京酒蔵「澤乃井」を実施しました!
当日は珍しく、天候に恵まれ、気持ちよくマイナスイオンを浴びて、ウォーキングをした後、お待ちかねのランチと唎酒をしました。
ご参加頂いた皆さん、朝からテンションmaxで、ほとんどの方は飲む気満々(笑)!!
早速、御嶽駅を出発し、御岳渓谷遊歩道に入ります。
2月11日(日)ぶらっと歴史散歩「上野寛永寺」を実施しました!
本日のメインイベントは寛永寺にある歴代将軍 御霊廟の特別参拝です。
2ケ月前に抽選に申し込み、運よく当たりました!
今回の「ぶらっと散歩」はちょうど20回目。
たまにはこのような珍しい見学もいいかなと思い、企画しました。
実は私自身も初めての参拝で興味深々でした。
ではまず、上野公園からスタート。
12月23日(日)、あいにくの天候でしたが、ぶらっと幕末歴史散歩「桜田門外の変」を実施しました!
《桜田門外の変》
安政7(1860)年3月3日午前9時頃、節句の賀詞を述べるため、供回り約60名を従え、彦根藩邸を出た大老井伊直弼は400mほど離れた桜田門外で、 18名の浪士(水戸17、薩摩1)に襲われ、命を落としました。
1.この事件が起こった背景
①ペリー来航以来のグローバル化への対応(攘夷)
②国内は将軍継嗣問題
③井伊が勅許なしで日米修好通商条約に調印したことへの反発
2.これに対する井伊直弼の強烈な弾圧(安政の大獄)
これに憤慨した水戸脱藩浪士たちの暴発テロが「桜田門外の変」です。
今回はこの「桜田門外の変」に関連した史跡を巡る散歩でした。
11月25日(日)、ぶらっと江戸下町散歩「佃・月島」を実施しました!
《佃島と月島の歴史》
1582年に起こった本能寺の変、話はここまでさかのぼります。
この直後、徳川家康は岡崎城に戻ろうとしますが、摂津国西成郡佃島で難渋します。
その時、近くに住んでいた佃村の漁師が漁船と保存食の小魚煮を用意して、家康一行が逃げるのに協力しました。
この時の恩を忘れなかった家康はその後、世話になった森孫右衛門一族を江戸に呼び寄せます。
彼らは隅田川河口にあった干潟を拝領し、ここを埋め立てて、島を造り、出来た島が故郷にそっくりだということで、旧村の名をとって「佃島」としました。
孫右衛門たちは様々な特権を与えられました。
”森”という姓、白魚の漁業権、税金の免除、武家屋敷への出入り許可など、そして彼らは徳川家に魚を運ぶとき、大名行列を横切ることが出来たのです。
本来、大名行列を横切ったら、あの「生麦事件」のようになるところですから、いかに特別な関係だったかが分かります。
ゆっくり、大名行列が通り過ぎるのを待っていたら、魚が腐りますよね、だからかな(笑)
ビックリしたのは白魚献上の習慣は何と現在でも続けられているとか。
漁民たちも徳川様の御恩を忘れなかったのですね。
一方の月島は明治になって、隅田川の川底に堆積した土砂が船の運航に支障をきたすようになったので、その土砂を処分して埋め立てて出来たのが月島です。
10月7日(日)、珍しく天候にも恵まれ、ぶらっと深川散歩「清澄白河」を実施しました!
何と今回のランチ懇親会のお客様は17名、過去最多の参加者です。
街歩きも14名と多くの方に参加いただきました。
清澄庭園「涼亭」での懇親会も3回目を迎え、もうこれが最後ですということで、リピーターの方含め、新規の方にも参加いただきました。
今回は「深川」の発祥の地から、広重やゴッホが描いた「新大橋」など、深川を代表するスポットを街発見散歩です。
さあ、10月の天気とは思えないような暑い中でのスタートです。
9月8日(土)、珍しく天候にも恵まれ、ぶらっと”粋”散歩「向島」を実施しました!
今回のお客様は4名、それも全て女性。
これは初めてのことであり、主催者としては、ちょっと緊張しながらのスタートとなりました(笑)。
7月7日(土)、幕末ぶらっと散歩「南千住」を実施しました!
もう絶対に雨だと思っていたのですが、なぜか天候にも恵まれて(暑いくらい)、幕末の史跡を中心に、12名でぶらっと散歩。
南千住駅を出発して、三ノ輪駅周辺まで約3時間の散歩と下町ビストロでワイワイガヤガヤのランチ会です。
1.行人坂
江戸時代、出羽(山形県)の湯殿山の行人が、このあたりに大日如来堂を建立し修行を始め、次第に多くの行人が集まり、住むようになったので、「行人坂」と呼ばれるようになりました。
その当時、この坂は家族や仲間と一緒に「目黒のお不動さん」へお参りにいく道で、西向けの坂の上には、富士見の名所「富士見茶屋」があり、庶民の楽しみの場でもありました。
しかし、この坂は長さ約150m、高低差30m、そして平均勾配が15.6%もあります。
当時の人々はこの坂を上がるのはきつかったでしょうね。
1.お茶の水の地形
このあたりは元来、本郷・湯島台と地続きで、「神田山」と呼ばれていました。
江戸に幕府を開いた徳川家康は、新たな町づくりのため、この神田山を切り崩し、江戸城の南に広がる日比谷入江(現在の日比谷公園
新橋周辺)を埋め立てました。
しかし、埋め立てによって、それまで海に流れ込んでいた平川(神田川のもとになった川)の流れがとどこおり、下流で洪水が頻発するようになります。
そこで現在の飯田橋付近から隅田川まで、分流としての水路を確保し、あわせて江戸城の外堀の役目も果たす「神田川」が開削されたのです。
こうしてこの界隈は、本郷・湯島台から切り離され、現在の駿河台が形成されました。
この絵は、昌平橋から湯島聖堂を見たものですが、狭くて切り立った峡谷に、現在でも残る湯島聖堂の築地塀が見えます。
当時の情景が浮かぶようですね。
≪築地の由来~江戸時代≫
1.築地本願寺
元和3(1617)年、浅草横山町に建立され、「浅草御堂」と呼ばれました。
しかし、明暦3(1657)年の明暦の大火で本堂を焼失。
その後、幕府による区画整理のため、旧地への再建が許されず、代替地として「八丁堀沖の海上」が下付されました。
そこで佃島の門徒が中心となり、本堂再建のために海を埋め立てて土地を築き、延宝7(1679)年に再建され、「築地御坊」と呼ばれました。(この埋め立て工事が地名「築地」の由来)
佃島の門徒である漁師たちは「生きるためには殺生を禁じない」浄土真宗を崇拝したようです。
大正12(1923)年9月1日の関東大震災で起こった火事により、再び焼失。
現在の本堂は昭和9(1934)年、古代インド様式をモチーフに、伊東忠太の設計で竣工されました。
象、牛、クジャク、、羽の生えたライオンなど、不思議な動物たちが飾られています。
合同墓
遠方に親族の墓があって、”これから先、墓の面倒を誰が見るのか” といった心配がある方のために「合同墓」が設けられています。
ここは宗教は問わないので誰でも申し込むことが出来ます。
最近、このような問題が多くなっており、私自身も考えていかなくてはならない状況にあります。
これも解決方法の一つかと思います。
11月4日(土)ぶらっと東京食べ歩き「越中島~清澄庭園」を実施しました。
ぶらっと散歩も2016年2月に初回を実施して以来、お蔭様で今回で11回目となりました。
今後も20回目指して、面白いコンテンツをお届けできるよう頑張りますので宜しくお願いします。
1.深川、越中島の由来
(深川の由来)
徳川家康の入国により、天正18(1590)年から開削が進められていた小名木川の北側を摂津国出身の深川八郎右衛門が開拓し、慶長元(1596)年に深川村を創建した。
(越中島の由来)
江戸時代初期、播州姫路の領主 榊原越中守が島状の土地に屋敷を持っていたところから「越中島」と名付けられた。
その後、忍藩 松平下総守の領地となった。
(なぜ、榊原越中守から松平下総守へ代わった?)
榊原式部大輔が吉原 高尾太夫を身請けしたことが幕府にばれて、自身は隠居、領地も姫路から越後高田に国替えとなった。
その後、高尾太夫は越後高田で62歳の長寿を全うしたと伝わる。
身請け代は1800両(現在の貨幣価値で約2億円?)だったと聞く。
この結果がよかったのか、とんでもないことだったのか、この殿様のみぞ知る・・・
国替え後の高田藩榊原家の中屋敷が現在、上野にある「旧岩崎邸庭園」の場所になる。
あの岩崎弥太郎が買い取った場所である。
本日、最終地としている清澄庭園も岩崎弥太郎が購入したところ。
何やら見えない糸で結ばれているような気がする。。。
ぶらっと東京食べ歩き「麻布十番 坂道散歩(9/16)」を実施!
(麻布七不思議の秘密に迫る街歩き)
1.十番稲荷神社
竹長稲荷と末広神社が戦災焼失して、両社が合併し、十番稲荷神社と改称した。
こちらの狛犬は昭和12年にコロンビアの歌手だった音丸さん(本名 永井満津子)により奉納されたもの。
音丸の芸名の由来は”音は丸いレコードから”という洒落だったらしい。
鳥居は喜劇俳優 榎本健一氏と市川産業の社長 市川要吉氏から奉納されたもの。
どちらも麻布十番に縁のあった方達で、この地を愛していたんだろうなぁ。
1.『待乳山聖天』(1)
7/2(日)、浅草・吉原跡ディープ散歩スタート
「ぶらっと東京散歩」では珍しく天気良好(暑いくらい)
まずは東武浅草駅前を出発
徒歩10分ほどで「待乳山聖天」に到着
由緒は595年、この土地が突然小高く盛り上り、金龍が舞い降りて、山を護ったと伝えられている。
浮世絵にも描かれているように、江戸時代には隅田川を一望できる景勝地として親しまれたと伝えられる
浅草名所七福神の一つで毘沙門天を祀っている
「ぶらっと東京食べ歩き(5/20)」では、
珍しく天候にも恵まれて
楽しい1日を柴又で過ごした
駅前で寅さん、妹さくらの像の前に集合して、スタート
映画「男はつらいよ」で寅さんが必ず言うセリフ
私 生まれも育ちも葛飾柴又です
帝釈天で産湯をつかい、
姓は車 名は寅次郎
人呼んで フーテンの寅と発します
さあ、昭和の名作「男はつらいよ」の世界にどっぷりつかって
・ちゃぶ台を囲んだ家族みんなでの夕飯
・人を思いやる気持ち
・切ない恋
とか思い出しながら、ぶらっと散歩
第7回「ぶらっと東京食べ歩き」は「新選組の故郷 日野」
≪新選組が生まれた背景とこの日野周辺の土地柄≫
この地域には戦国時代主君を失った武士が多く住んでいた
彼らは「草分け百姓」と呼ばれ、やがて豪農や名主も生まれてきた
八王子周辺ではこれら1000人の武士を集め、八王子千人同心を作る
彼らの仕事は日光東照宮の火の番で、普段は百姓身分だった
更にこの地域は幕府直轄だったので、将軍への特別な思いがあった
土方歳三はこのような環境で育ったことが、後の新選組での活動のベースになっていたのかもしれない
またこの日野周辺多摩の出身だった近藤勇、土方歳三、井上源三郎、そして新選組を物心両面で支援した佐藤彦五郎(歳三の義兄/いとこにも当たる)はある意味、親兄弟よりも濃いつながりで結ばれていたと言える
写真出典 国立国会図書館
今回で6回目になる「ぶらっと東京食べ歩き」
過去5回の内2回が雨
当日の天気予報では12時頃から、またもや雨
今回もかと思ったが「晴れ女」のお客様がいて、なんとかランチまで、雨となることはなかった
本当に感謝です!
山の手のお洒落な雰囲気と下町の人情味が融合した ”大人の粋” を感じる神楽坂を満喫する街歩き
今回参加頂いた7名の内、5名が初参加というメンバーでスタート
天候にも恵まれ、過去最多の13名の方々に、ご参加いただいた
涼亭の予約は6ケ月前に”くじ引き”で勝ち残った人のみができる
いつも10名前後が申込みに訪れ、この中で勝ち残るのは大変
小生は8回目の挑戦で、やっと予約できた
ご参加いただいた皆様、雨の中、ご苦労さまでした
やはり、小生の雨男の威力は健在でした。。。
(過去4回の内、2回が雨)
今回のぶらっと東京食べ歩きは「谷根千」
食べ歩きスポットもメンチカツ、コロッケ、今川焼 他多数
全部食べている方もいて、ランチ食べられるかなと
心配しましたが、大丈夫でした(笑)
ぶらっと東京食べ歩き『都電荒川線沿線めぐり(4/9)』
昨日はお試し2回目。
さあ、都電に乗ってGO!!
前回に続き、参加いただいた「勝海舟の会」会長、
初参加組では「勝海舟の会」「ネクストライフデザイン東京」
及び杉並「世界のわ茶会」からもお越しいただき、感謝です。
途中、飛鳥山で迷子が2名、大トラブル発生!
これは明らかに、小生の注意不足。
ゴメンナサイ!! <(_ _)>
2016年2月20日(土)
ぶらっと東京食べ歩き「龍馬が歩いた江戸を巡る」を実施しました。
当日は雨が少し降り、心配しましたが、何とか無事に終えることが出来ました。
今回は小生の知合いの方をメインに、facebookのおかげで、小中高と同級生だった方にも 遠方から参加頂き、約40年ぶりにお会いしたりと、大いに盛り上がった。
ご参加頂いた方に感謝したい。
会社以外の知合いを作りたいという小生の目的は、これで半分は達成出来たような気がします。