【第26回】ぶらっと深川下町「清澄白河」を実施しました!

1.10月6日(日)、ぶらっと深川下町「清澄白河」を実施しました!

 

3日前の天気予報では曇りだったのに・・・

天気予報は外れ、朝から結構、雨が降っていました。

私のイベントはなかなか天気に恵まれないのです・・・😢

 

さて、今回のぶらっと散歩のテーマは「モノづくりの街 清澄白河」。

・日本の伝統色を自在に操る「東京無地染」の匠の技。

・江戸時代、マルチ人間として、科学、鉱山開発、そして陶芸、西洋画・浄瑠璃製作など様々な分野で活躍した人物。

・明治時代、日本の国としての根幹づくりに貢献した人物。

・蚕(かいこ)に魅了されて、ミュージアムまで作った女性

など清澄白河の魅力満載の街発見散歩でした。

 

天気の方は、ランチが始まってから一気に良い天気に変わり、清澄庭園「涼亭」から回遊式庭園の眺めは最高でした。。。

  


2.近藤染工

 

昭和26(1951)年、深川清澄に近藤染工場として創業。

初代は近藤由太郎氏、現在は二代目近藤良治社長。

 

本来、日曜はお休みにも関わらず、今回お店を開けてくださいました、ありがとうございました。

さらに、奥にある工場も見せてもらい、皆さん興味津々でご覧になっていました。

 

四十八茶百鼠(しじゅうはっちゃ・ひゃくねずみ)。

江戸時代後期、幕府が出した奢侈禁止令(しゃしきんしれい)の下、庶民が身につけるものの色は、基本的に3色「茶色」「鼠色」「藍色」に限定されました。

しかし、そんな中でも洒落を競ったのが、江戸っ子。

その心意気が、茶色、鼠色を多彩にし、”四十八茶百鼠”といわれるほどのバリエーションを生み出しました。

 

こちらは、この多彩な日本の伝統色を自在に操る「東京無地染」の染色工房。

赤、黄、青、緑、黒のたった5色の調合で作り出す一千色を染め分けられる技術はまさに匠の技」です。

 

お客様は江戸の「粋」がお好きらしく、着物生地でできた世界に一つだけのブックカバーや扇子入れなどを購入されていました。

 


3.三野村ビル

 

幕末から明治にかけ、豪商・三井家の窮地を救い、後に「三井の大番頭」と称された、三野村利左衛門が設立した合名会社(現 株式会社)の社屋として、昭和初期に建築されました。

隅には崩れ防止のためでしょうか、補強がされていました。

そうまでして、この建物を残そうとする気持ちがうれしいですね。

 

三野村合名会社は三野村利左衛門がその晩年に一族の資産を運用するために設立した会社。

三井家につかえ、第一国立銀行の副頭取を務め、三井銀行の設立に活躍するなど三井財閥の基礎を作りました。

 

建物の入口に施されたテラコッタなどの装飾が優美で、印象に残る建物です。

東京大空襲のときは200人の人々がこのビルに逃げ込み、防火にあたってビルが残ったそうです。 

 

このような趣のあるビルですから、近年はテレビのロケなどにもよく使われるみたいです。

 


4.陸奥宗光邸跡

 

陸奥宗光は明治5~10(1877)年の間、深川清住町に住んでいました

大蔵省で地租改正事業に手腕を振るい、また薩長藩閥勢力による政権独占を批判した論文「日本人」を書きあげた時期に当たります。

 

この邸宅は隅田川に面して眺望がよく「三汊水碧楼(さんさすいへきろう)」と呼ばれたそうです。

 

若い頃は坂本龍馬と行動を共にし、神戸海軍塾に参加したり、紀州藩の明光丸といろは丸の衝突事件では龍馬と共にその賠償交渉にあたったと伝わります。

 

龍馬暗殺後、紀州藩三浦休太郎が龍馬暗殺犯とにらみ、三浦の滞在先を襲撃するなど、過激な一面も持っていました。

 

その後は明治新政府で外国事務局御用係などを歴任しましたが、西南戦争の際、土佐藩と連絡を取り合っていたことが発覚し、投獄されます。

 

出獄後は外務省に出仕、その後、農省務大臣に就任、第2次伊藤内閣では外務大臣となります。

そして、明治27(1894)年、イギリスとの間に日英通商航海条約を締結し、幕末以来の不平等条約である治外法権の撤廃に成功しました。

 

以後、アメリカ合衆国とも同様の条約に調印、ドイツ帝国、イタリア王国、フランスなどとも同様に条約を改正しました。

陸奥は外務大臣の時代に、不平等条約を結んでいた15ヶ国すべてとの間で条約改正(治外法権の撤廃)を成し遂げました。

 

まさに国づくりの根幹を作ったといえるのではないでしょうか。

 

5.清洲橋

 

名前の由来は、深川区清住町と日本橋中洲町を結ぶことから付けられました。

もともと「中州の渡し」という渡船場があった場所です。

 

関東大震災後の復興事業で、「帝都東京の門」と称された永代橋と対になるような設計で、ドイツのケルン市にあったヒンデンブルグ橋をモデルとして昭和3(1928)年に完成しました。

平成19(2007)には、永代橋とともに国の重要文化財に指定されました。

 

隅田川沿いにあるLYURO 東京清澄 THE SHARE HOTELSにあるKAWATERRACE。

こちらは誰もが水辺で楽しめるオープンスペース、ここから眺める清洲橋・・・最高なんですが、、、当日はまだ工事中でその優雅なシルエットは見られず・・・

 

その奥には清洲橋醸造場があり、出来立てのクラフトビールが楽しめるはずでしたが、、、私たちが訪れた時間はちょうど休憩時間で残念ながら飲むことは出来ませんでした・・・😢

 

6.平賀源内電気実験の地

 

平賀源内は讃岐国寒川郡志度浦(現 香川県さぬき市志度)の白石家の三男として誕生。

白石家は讃岐高松藩の足軽の身分でした。

この地に武田長春院という官医の下屋敷があり、源内はそこに住んでいました。

 

源内は、江戸時代後期のマルチ人間で、科学者、鉱山開発、そして陶芸、西洋画・浄瑠璃製作と様々な分野で能力を発揮。

科学者の功績としては寒暖計、エレキテルを復元したことがあります。

 

ちょっと変わったところでは、土用の丑の日にウナギを食べる風習は、源内が発祥との説があります。

 

また、明和6(1769)年にはCMソングとされる歯磨き粉『漱石膏』の作詞作曲を手がけ、安永4(1775)年には音羽屋多吉の清水餅の広告コピーを手がけてそれぞれ報酬を受けており、これらをもって日本におけるコピーライターのはしりとも評されています。

 

晩年、大名屋敷の修理を請け負った際に、酔っていたために修理計画書を盗まれたと勘違いして、大工の棟梁2人を殺傷したため、投獄され、破傷風により獄死しました、享年52歳。

 

マルチな才能で数々の偉業を達成しましたが、何とも寂しい最期でした。。 

 


7.セメント工業発祥の地

 

明治5(1872)年、この地で大蔵省所管の「深川摂綿篤製造所」建設に着工し、セメントの国産化を目指しますが、うまくいかず、所管が明治7年に工部省へ移管されます。

その後、明治8年に工場改修して「深川セメント製造所」となり、ついに日本初の国産セメントの製造に成功します。

 

製造所はその後、浅野財閥の浅野総一郎に売却され「浅野セメント」として事業を継続します。

「浅野セメント」は昭和22年に「日本セメント」と改称。

平成10年には秩父小野田と合併し、現在では「太平洋セメント」となっています。

 

現在「深川セメント製造所」跡地にある「アサノコンクリート」は「太平洋セメント」の子会社となります。

 

 


特攻隊員用のベスト
特攻隊員用のベスト

8.ワイルドシルクミュージアム 

 

家蚕(かさん)や野蚕(やさん)など「絹糸(けんし)昆虫」の繭(まゆ)や糸、関連資料などを展示しています。

 

絹糸昆虫とは、絹(シルク)を吐く昆虫たちの総称で、一般的には蚕(かいこ)が有名。

家蚕は蚕の中でも、品種改良されて家畜化した蚕のことで、いわゆるカイコ。

野蚕はカイコ以外の絹糸昆虫のことで、その野蚕が吐く糸で作ったシルクが「ワイルドシルク」です。

 

家蚕の糸で作られたシルクはいわゆる一般的なシルクで、滑らかで光沢があります。

 

一方、ワイルドシルクは、繊維がシルクより太く、無数の穴が開いているため、軽量で通気性が良く、触感も少し違います。

また、綿や麻と比べて縮みにくく、さらに消臭・抗菌効果やUV効果、体の血流をよくする効果もあるそうです。

 

「店主がワイルドシルクに関わるようになったきっかけ」

工房で縫製業に従事していた店主は、シルク衣料の縫製後に出る端切れに注目し、それらで下着や枕カバーを自作していましたが、生まれつき肌が弱かったにも関わらず、それらを身に着けている時だけは、肌にストレスを感じがないことに気づいたそうです。

 

そこで「ワイルドシルクを『身近な健康素材』としてアピールしたい」という思いに駆られ、さらに、シルクの糸やその繭、蚕そのものにまで関心は広がり、2011年、野蚕の研究や商品開発を手掛る「日本野蚕学会」に入会します。

 

そして、研究の成果物を一般公開できたら、様々なアドバイスを聞けると考え、その思いを胸に2016年2月、学会で知り合った専門家たちの協力を得て、「ワイルドシルクミュージアム」をオープンしました。

 

こちらではワイルドシルクで作ったストールや靴下、衣類などの製品も店内で販売しています。

 

現在も、店主はマンションで、飼育用のビニールハウスなどを置いて、蚕を育てているそうです、総数はなんと約1000匹!! 

 

展示してあった「特攻隊用のベスト」、これ本物だそうです。

 


9.ブルーボトルコーヒー

 

つい先日、リニューアルオープンしたばかりの「ブルーボトルコーヒー」へ。

並んでいる人もいたので、お客様はテイクアウトで購入。

 

随分涼しくなったので「ホット」が美味しかったでしょうね。

 

ブルーボトルコーヒーはなぜ、1号店にこの清澄白河を選んだのか?

スタバは確か、1号店は銀座だったと思いますが・・・

 

それはアメリカ本社があるカリフォルニア州オークランドに似ているからだそうです。

残念ながら、私はオークランドに行ったことがないので、本当のところはよくわかりません。

そこは、清澄白河のように、倉庫が立ち並んでいる中に、住宅地があって、しかも新宿や渋谷などのような巨大なビルはほとんどなく、何となく下町の雰囲気が残っていて、地域密着型のお店がたくさんあって、人を大事にする、そんな街なのでしょうか。

 


10.ランチ懇親会「人形町今半 重詰と日本酒」

 

まず、ランチの前に竪琴の演奏を聴いて、心を落ち着かせ、ゆったりとした気分になっていただきました。

竪琴の音色はいいですね、お酒を飲んで横になるとそのまま寝てしまいそうです。

 

おっと、食事の前に寝るわけにはいきません・・(笑)

 

今回のランチは人形町今半の重詰です。

タレが3つ入っていて、一つはすき焼き、二つ目は刺身用、そして天ぷら用だったようです。

それぞれを理解する前に開けてしまったようで、間違えてしまいました。

今半さん、ごめんなさい。皆さんは大丈夫だったでしょうか??

 

日本種は今回、人数が少なかったため、4種類です。

新潟、福島、京都、三重のお酒です。

それぞれの特長を見極めるため、まずは全種類を飲んでいただきました。

 

それからはそれぞれお好きな酒を・・

 

今回、チェイサー(水)もしっかりご用意しましたので、最後まで皆さん大丈夫でした。。(笑) 

 


11.ランチ懇親会(美味しいお茶をいただきました)

 

食事のあとはティータイムです。

先日のぶらっと散歩にお越しいただいたお客様に用意してもらいました。

 

何とこのお茶は幕末、長崎で茶貿易の先駆者として活躍し、あの坂本龍馬を支援したと伝わる大浦慶が、買い付けに来たという由緒正しいお茶屋さんが作ったものだそう。

 

お茶の香りに癒されて、最後までゆったり気分を味わっていただきました。