【第16回】ぶらっと”粋”散歩「向島」を9月8日に実施しました!

江戸木目込人形
江戸木目込人形

9月8日(土)、珍しく天候にも恵まれ、ぶらっと”粋”散歩「向島」を実施しました!

 

今回のお客様は4名、それも全て女性。

これは初めてのことであり、主催者としては、ちょっと緊張しながらのスタートとなりました(笑)。

 

 


1.セイコーミュージアム

 

こちらは1981年創業100周年記念事業として、「時と時計」に関する資料・標本の収集、保存、研究を目的として設立されました。

 

ガイドの方から詳しい説明を聞きながら、あっと言う間の40分。

セイコー創業からの歴史、ウォッチ、クロック製品史、日本有数の和時計コレクションなど、見どころ満載です。

 

明治時代から、「時計」に将来をかけて、現在まで続けてこられている姿に ”粋” を感じますね。

 

また、オリンピックの水泳競技などでよく見かける「水泳用タッチ版」を実際に動かして、計時体験が出来ます。

ボルトの100m世界記録9秒58にピッタリを狙って挑戦しましたが、難しいですよ(笑)。

 

本当は2時間くらいかけて、見学できれば、面白さがもっと分かるのですが、先の都合もあるので、残念ながら40分で後にしました。

 

 


2.白鬚神社

 

天暦5(951)年、近江国(現滋賀県高島市)琵琶湖畔に鎮座する白鬚神社の御分霊としてお祀りしたのが始まり。

 

またこちらは隅田川七福神の1つ「寿老神」を祀る。

この由来は、向島に七福神を揃えようとしたが、寿老人だけが見当たらず困ったとき、「白鬚大明神はその御名から、白い鬚の老人の神様だろうから、寿老人にはうってつけ」と江戸人らしい ”しゃれ” で、この神を寿老人と考え、めでたく七福神が揃ったと伝わります。

 

これも ”粋” を感じるエピソードですね(笑)

 

お客様の一人がおみくじをひかれたのですが、出たのは、何と「凶」。

でも、その内容を見るとそんなに悪くないようです(笑)。

 

 


3.白鬚神社「岩瀬鷗所の墓碑」

 

岩瀬忠震(号は鷗所)、江戸時代末期の外務官僚。

ときの老中 阿部正弘から目付に抜擢され、講武所、蕃所調所、長崎海軍伝習所の開設や軍艦・品川の砲台の築造に尽力しました。

 

日米修好通商条約などでも活躍しましたが、将軍跡継ぎ問題で、大老 井伊直弼と対立したため、安政の大獄で退けられ、蟄居を命ぜられました。

 

その後、ここ向島に隠居し、読書文芸に明け暮れましたが、蟄居後わずか2年後の文久元(1861)年、44歳で他界しました。

 

岩瀬家は跡継ぎがいなかったため、その後、途絶え、岩瀬の功績は忘れられていくことになります。

 

しかし、白野夏雲(かうん)[岩瀬に最後まで従った家来]により、明治16(1883)年、「岩瀬鷗所君之墓碑」が建立されました。

 

岩瀬の生き方「エリート官僚ですが、ときの権力者 大老井伊直弼に忖度することなく、おのれの考えを最期まで貫き通した姿」に ”粋” を感じます。

 


4.長命寺桜もちで、おやつ休憩

 

創業者 山本新六が享保2(1717)年に隅田川土手の桜の葉を塩漬けして、桜もちを考案し、長命寺の門前で売り始めました。

 

二代目金五郎の娘 おとよが15歳の頃、無類の美人としてその名が知れわたり、おとよ目当ての客であふれるようになります。

 

ここに、先ほど岩瀬忠震を抜擢した老中 阿部正弘がからんできます。

阿部が母のために桜もちを買いに駕籠で長命寺を訪れた際、18歳のおとよを見初めます。

そんな時、なんと、御三卿の田安慶頼もおとよを狙っているとのうわさが・・・

 

そこで、阿部は先んじて、おとよを福山藩下屋敷に迎えます。

しかし、阿部はその後まもなく、心労からか突如、病に倒れ、亡くなってしまいます。

 

阿部亡き後、おとよは、しばらく福山藩下屋敷に住んでいましたが、明治になってから向島の実家に戻り、家業を手伝いました。

そして、大正3年に75歳で亡くなったそうです。 

幕末から、明治、大正と時代の変遷をみてきたおとよは最期、亡くなる前、自身の人生を振り返ってどのように考えたのでしょうか。

 

こちらは江戸時代からこの「桜もち」一本で(その他のメニューはない)、300年続いている貴重なお店です。

 

塩漬けされた葉について、お店の方は、食べない方を推奨されますが、私は、あんこの甘さに対して、塩っぱい味が欲しくなるので、1枚食べます(笑)。

 

 


5.幸田露伴の旧居跡(蝸牛庵かぎゅうあん)

 

露伴は自分の家をかたつむりの家(蝸牛庵)と呼び、やどかりのように何度も住まいを変えました。

その中で彼が一番長く住んだ家がここ向島です。

娘で作家の幸田文はこの家で生まれています。

 

 


6.羽子板資料館(鴻月)

 

私自身は3度目の訪問。

以前の訪問では、お留守番をしていたおばあちゃんにもお会いして、いろいろなお話を伺ったりしました。

 

今回はご主人自らの説明を聞くことが出来て、本当に有益な時間を過ごすことができました。

 

押絵羽子板は元々江戸で生まれました。江戸歌舞伎があったことがその由来らしい。

押絵は技法で、羽子板は羽根をつく遊び道具。

これらはどちらも京都から来たのですが、のちに江戸で羽子板に押絵を施し、押絵羽子板が出来たそうです。 

 

現在でも、女の子が生まれた最初のお正月には羽子板を贈る風習が全国各地に残っているそうですが、是非、継続されて欲しいと願っています。

 


7.鳩の街商店街

 

1928年に寺島商店街として発足。

東京大空襲で被災を免れ、戦後は銘酒街として賑わいました。

独特の雰囲気が醸し出す情景、何やら時計が止まったかのような・・・

 

当時の様子は吉行淳之介「原色の街」、永井荷風の戯曲「渡り鳥いつかかへる」「春情鳩の街」などに描かれています。

 

 


梅若公園内「銅像 榎本武揚像」
梅若公園内「銅像 榎本武揚像」

8.榎本武揚旧居跡

 

明治38(1905)年から同41年まで、榎本武揚はこの地で晩年を過ごしました。

墨堤を毎日馬で散歩する姿が見られたそうです。

 

馬で散歩する姿、”粋”ですね。

 

 


9.三囲神社「ライオン像」「三囲のコンコンさん」

 

創立年代不詳。

近江国三井寺の僧 源慶が当地に遍歴した際、小さな祠のいわれを聞き、社壇の改築をしようと掘ったところ、壺が出てきて、その中に白狐に跨った老爺の神像がありました。

この時、どこからともなく白狐が現れ、その神像のまわりを三回廻って死んでしまいました。これが三囲の名称の由来だそうです。

 

元禄6(1693)年旱魃(かんばつ)のとき、俳人(きかく)が当地に来て、この神に雨乞いする者に代わって、「遊ふた地や田を見めくりの神ならば」と一句を神前に奉ったところ、翌日降雨がありました。

これにより、当神社の名は広まり、松坂の豪商三井氏が江戸に進出すると、その守護神とし、越後屋の本支店に分霊を奉祀しました。

 

三井家では享保年間に三囲神社を江戸の守護社と定めました。

三囲神社のある向島が三井の本拠 江戸本町の東北の方向にあり、鬼門だったこと、三囲神社の「囲」の文字に三井の ”井” が入っているため、「三井を守る」と考えられたことがその理由だそうです。

 

閉店となった池袋三越前にあったライオン像も寄贈されています。

 

三囲のコンコンさん

目尻の下がった温和な表情のことを、このあたりの職人言葉で「みめぐりのコンコンさんみてぇだ」と言ったそうです(笑)。

 

 


10.三囲神社「老翁老嫗の石像」

 

元禄の頃、白狐祠を守る老夫婦がいました。

その方々の徳を慕い、建てられたものです。

 

その老婆に願い事をお願いすると、老婆が田んぼに向かって狐を呼び、しばらくすると、どこからともなく狐がやってきたのだとか。

 

 


11.レトロな喫茶店「カド」

 

かなり個性的で ”粋" な喫茶店です。

外観からくる雰囲気も、かなりレトロで、一見、入りにくさを感じます。

 

当初、こちらにはお邪魔する予定は、なかったのですが「このお店の内装は、なかなか他では見られないし、販売しているパンも美味しいですよ」とお話しすると皆さん、是非入ってみたいとおっしゃるので、ドアを開けてみました。

 

すると皆さん、一瞬にして驚きの連続です。

絵画、超ヴィンテージもののレジスター、手回し式電話、扇風機など、どれを見ても、興味をそそられるものばかり。

 

マスターからいろいろなお話も聞けて、楽しまれたようです。

もちろん、パンもお買い上げになられました(笑)。

 

今回のように、少人数だとその場その場で、フレキシブルな対応が出来るので、よかったです。

 

 


12.江戸木目込人形館(塚田工房)

 

天保12(1841)年、本所両国で創業。

現在のご主人 塚田詠春さんで六代目になるそうです。

 

今回は特別に、木目込人形の作業を実際に目の前で見せていただきました。

細かくて繊細な作業、どうやっても私には無理そうでした(笑)。

 

お客様で「招き猫」が大好きな方がおられ、この表情がたまらないということで、購入されていました。

一目見た瞬間にビビッときたようです(笑)。

 

 


13.ランチはいかだ流しそば「美舟音」でおつまみと蕎麦を満喫

①出汁巻き玉子

②穴子の梅肉焼き

③鴨焼き

④たこのから揚げ

⑤にぎわいじゃこサラダ

⑥涼味そば

 

いかだにのって、つまみや蕎麦が流れてくる仕掛けで、ワクワクしながら、日本酒で一杯やる大人の蕎麦屋の楽しみ方。

皆さんでシェアしながら、少しずつですが、いろいろなつまみに舌鼓。

 

初参加の方もいらっしゃいましたが、「わ(話→和→仲間の輪)」を楽しんでいただけたでしょうか。

 

今回は ”粋” をテーマにして、向島をぶらっと散歩しました。

川を一本渡ると、浅草で、そちらは観光客であふれていますが、こちら向島はしっとりとした大人の下町情緒が味わえます。

また、お一人でゆっくり来られるのもいいのではないでしょうか。

 

ご参加いただいた皆様、本当にありがとうございました!

 

*料理の写真を当日、撮り忘れたので、一部、下見の時のものが含まれています。

 

(追伸)

次回は10月7日(日)、清澄庭園「涼亭」で食事と日本酒、そして特別に薩摩琵琶の演奏も楽しめる企画です。

清澄庭園は、これで3回目になりますが、今回が最後です!

回遊式庭園の魅力を家屋の中から味わえる貴重な機会ですので、よろしければご予定に入れていただけると幸いです。

 

 


14.今回のクイズはこんな内容でした!

 

(1)セイコーミュージアム

   1963年以降、セイコーのアナログ式時計のパンフレットを見ると、そこに掲載されている時計はすべて「10時8分42秒」。

   それ以前は何時を採用していたか?

   ①10時6分37秒、②10時9分35秒、③10時10分30秒

 

(2)白鬚神社 岩瀬忠震

         岩瀬忠震が晩年を過ごした岐雲園(現 墨田区墨田)。明治9年、この地を手に入れ住居としたのは●●。

     ①永井尚志、②榎本武揚、③勝海舟

 

(3)旧墨堤の道

         4代将軍家綱が木母寺の隣に隅田川御殿を作り、関屋から木母寺までの墨堤に桜を植えた。

        ●代将軍●●が木母寺から白鬚神社まで桜を植え、江戸庶民の行楽地となった。

         ①6代将軍家宣(いえのぶ)、②7代将軍家継(いえつぐ)、③8代将軍吉宗

 

(4)羽子板資料館

         現店主 西山 和宏さんは、中学一年の夏休みに、このお店で10日間アルバイトをやりました。その時の給料で●●を買いました。

         ①腕時計、②はさみ、③ハンドバック

 

(5)榎本武揚

         嘉永4(1851)年、昌平坂学問所に入学。嘉永6(1853)年に修了するが、修了時の成績は●であった

        ①甲、②乙、③丙

   

(6)長命寺桜もち

         文政7(1824)年には1年で桜の葉を●●枚使い、餅一つに葉は2枚ずつ使うので、餅の数はその半分だったと記されています。

         ①775,000枚、②665,000枚、③555,000枚

 

(7)弘福寺

         「咳の爺婆尊」が祀られており、風邪やインフルエンザの予防を祈願する参拝者が訪れる。制作したのは江戸時代の禅僧●●。

         ①風外、②風内、③風中

 

(8)三囲神社

         近江国三井寺の僧源慶が当地に遍歴した時、社壇の改築をしようと掘った時、壺が出土した。

         その中に、右手に宝珠を、左手に●●を持ち、白狐に跨った老爺の神像があった。

         このとき、白狐がどこからともなく現れ、その神像の回りを3回回って死んだ。

         ①イネ、②錫杖(しゃくじょう)、③袈裟(けさ) 

 

 (正解)

(1)③ (2)① (3)③ (4)① (5)③ (6)① (7)① (8)①  

 

今回、最高得点の方は5問正解でした! ちょっと難しかったようです。

また、次回頑張って下さいね!!