街発見くらぶのブログ


【番外編】ぶらっと散歩「新吉原跡」を実施しました!

2018浅草観音うら一葉桜まつり「江戸吉原おいらん道中」
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【第27回】ぶらっと江戸事件散歩「高輪」を実施しました!

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明治から昭和の痕跡を訪ねる「乃木坂~赤坂~六本木」

2.26事件慰霊像(渋谷)
2.26事件慰霊像(渋谷)

《ぶらっと「乃木坂~赤坂~六本木」あたりを明治から昭和に起こった事件の痕跡を探索しながらゆっくりと歩きました!》

 

1.高橋是清翁記念公園 

 

明治時代後期、日本金融界の重鎮で、大正から昭和初期にかけて首相、蔵相をつとめた政治家、高橋是清(1854~1936)の邸宅跡。

赤坂御所と向かい合う場所にあります。

 

邸宅は移築され、現在は都立小金井公園内の「江戸東京たてもの園」で公開されており、私も行ったことがあります。

ガイドの方に「ここが2.26事件で是清公が襲われた部屋です」と案内されたのを覚えています。

 

2.26事件」

昭和6(1931)年の満州事変でさらに軍の独走は強まり、内部では皇道派、統制派の対立による緊張が高まっていた。

ただ、いずれも軍が日本を動かして体制を整え、戦争に突入していくという考えに変わりはなかった。 

 

主流派として要職を押さえていた統制派の首領ともいえる永田鉄山軍務局長が1935年、皇道派の相沢三郎陸軍中佐に白昼、陸軍省内で斬殺される事件が起きる。 

相沢は捕らえられ、また、皇道派青年将校が多く配属されていた第一師団が満州に出征することになる。 

 

相沢中佐を救い、昭和維新を断行するのはこの機会しかないと反乱計画を実行に移すことを決めた。

参加した部隊は「歩兵第三連隊900人強」「歩兵第一連隊約450人」「近衛歩兵第三連隊約60人」などで1500人強。

 

決起将校らは、岡田啓介内閣総理大臣、鈴木貫太郎侍従長、斎藤實内大臣、高橋是清大蔵大臣、渡辺錠太郎陸軍教育総監、牧野伸顕前内大臣を襲撃、総理大臣官邸、警視庁、内務大臣官邸、陸軍省、参謀本部、陸軍大臣官邸、東京朝日新聞を占拠した。

 

彼らは陸軍首脳部を経由して昭和天皇に昭和維新を訴えたが、天皇はこれを拒否。

天皇の意を汲んだ陸軍と政府は彼らを「叛乱軍」として武力鎮圧を決意し、包囲して投降を呼びかけた。

叛乱将校たちは下士官兵を原隊に復帰させ、一部は自決したが、大半の将校は投降して法廷闘争を図った。

しかし、事件の首謀者達は銃殺刑に処された。(渋谷にあるその現場跡に碑が残っています)

これが2.26事件の概要です。

 

この事件に参加した「歩兵第三連隊」「歩兵第一連隊」「近衛歩兵第三連隊」の痕跡、および明治から昭和に至る歴史の舞台となった場所を散策しました。

 


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ついに見学できました!「旧島津公爵邸」

ついに禁断の園、清泉女子大学内にある「旧島津公爵家袖ヶ崎本邸洋館」を見学することができました。

 

実は昨年、平日に当大学を訪れ、旧島津公爵邸を拝見したいと正門前に守衛さんにお願いしたのですが、NGとのことで、「来年の学園祭の頃にお越しください」と言われていたのを思い出して、訪問したのです。

 

1年越しで見ることができた洋館、素晴らしいです!!

こちらの学生はこの建物を何と教室として使用できるのです、羨ましいです・・

 


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ぶらっと江戸事件散歩「芝~三田~高輪」

《ぶらっと「芝~三田~高輪」あたりを江戸時代に起こった事件の痕跡を探しながら歩いてみました!》

 

1.東禅寺

 

慶長15(1610)年の創建。

安政6(1859)年、日本初のイギリス公使館が当寺に置かれ、公使ラザフォード・オールコックが駐在。

安政7年1月7日(1860年1月29日)、公使オールコック付きの通訳小林伝吉が門前で2人の侍に殺害されました。

 

文久元(1861)年、攘夷派の水戸藩浪士によって寺が襲撃される(第一次東禅寺事件)。

オールコックは難を逃れたが、書記官らが負傷し、水戸藩浪士、警備兵の双方に死傷者が出ました。

 

文久2(1862)年には護衛役の信濃松本藩藩士伊藤軍兵衛によって再び襲撃され、イギリス人水兵2名が殺された(第二次東禅寺事件)。

 

7年に及ぶ英国公使宿館により東禅寺の檀家である諸大名の離檀を招き、経済的な支援もなくなり、境内は荒涼の一途をたどりました。

 

当時はここから江戸湾が見られたのですね。

 

 


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【第26回】ぶらっと深川下町「清澄白河」を実施しました!

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【第25回】ぶらっと千住宿「北千住」を実施しました!

千住宿復元模型(マルイ10階)
千住宿復元模型(マルイ10階)
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ものづくりの街「清澄白河」をぶらっと散歩

清澄白河駅内展示「下町の華・技と情」
清澄白河駅内展示「下町の華・技と情」

1.「下町の華・技と情」

 

この写真は清澄白河駅内に展示されている作品で、通りがかったときに見つけました。

 

何と作者は江東区立深川第六中学校の皆さんで、平成9年度の卒業記念制作だそう。

 

下町の華である花火を囲む装飾にはこの地域の伝統工芸の技法が使われており、外側の枠組みには「江戸更紗」、内側には「江戸彫り」の木板と江戸切子を施したガラスの丸皿が配置されています。

 

この制作に関しては江東区登録無形文化財の認定をされている職人さん達のご指導を直接受けたそうです。

印象に残る最高の卒業制作ですね。

 


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龍馬の許嫁が住んだ街「北千住」を再訪

現在の千葉さな灸治院跡
現在の千葉さな灸治院跡
千葉さな 千葉灸治院跡(昭和42~3年頃)
千葉さな 千葉灸治院跡(昭和42~3年頃)

先日、購入した書籍「龍の袖」を読んで、坂本龍馬の許嫁だった千葉佐那の人生を振り返る機会を得て、また佐那に対する想いが高まり、再度、北千住へ。

 

約1年前、ここ北千住の「千葉灸治院跡」を訪ねましたが、その時に比べると説明板などが傷んでいて、佐那ファンの私としては、少し複雑な気分。

 

《佐那と龍馬の出会い、その後》 

龍馬が初めての江戸剣術修行で世話になった桶町千葉定吉道場の娘「佐那」との運命の出会い。

しかし、龍馬はおりょうと結婚し、非業の最期を遂げてしまいます。

 

この「龍の袖」では龍馬の死後、佐那は父定吉の反対を押し切って結婚したことにもふれています。

その間、やはり龍馬のことが心から消えない佐那は、女として幸せになれなかった。

 

その後、学習院女子部の舎監を経て、ここ千住の町で千葉灸治院を開業して生計を支えながら暮らし、明治29(1896)年10月15日59歳で亡くなりました。

 

龍馬は姉乙女にあてた手紙の中で、佐那のことを幼なじみの平井加尾より少しよいと伝えています。

 

また、宇和島藩8代藩主・伊達宗城が残した記録には、安政3(1856)年に19歳だった佐那が、伊達家の姫君の剣術師範として伊達屋敷に通っていたこと、後に9代藩主となる伊達宗徳(当時27歳)と立ち会って勝ったことが記されています。

「左那ハ、容色モ、両御殿中、第一ニテ」(佐那は2つの伊達江戸屋敷に出入りする女性の中で一番美人である)という宗城の感想も残っています。

どんな女性だったのでしょうか?

 

残念なことに、いまだに、佐那の写真は見つかっていません。

出来ることなら、世紀の発見により写真が出てきて一度お目にかかりたい。。。

 

 


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日本最大の城「江戸城跡(皇居)」をぶらっと散歩!

先日の江戸城跡を巡る散歩の続きです。

今回は宮内庁ホームページにあった皇居ツアーに参加しました。

普段入れる東御苑とは違う場所を見られるということで期待大です。

 

実は次回のぶらっと散歩は「江戸城跡」を計画していたのですが、東御苑が大嘗祭の準備のため、9月は工事中で歩けるところが半減することが判明。

止む無く今回はあきらめ、次々回11月後半から12月に「江戸城跡」をやります!

 

1.巽櫓 

桜田巽櫓とも呼ばれ、櫓の中には鉄砲、弓、長柄、持筒などが備えられていました。

江戸城には隅櫓(すみやぐら)だけでも20 基以上ありましたが、現存しているものは桜田二重櫓のほか、富士見(三重)櫓、伏見(二重)櫓の三基のみです。 

 

 


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【第24回】ぶらっと内藤新宿「四谷~新宿」を実施しました!

太宗寺「奪衣婆像」
太宗寺「奪衣婆像」
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「内藤新宿」起源の痕跡を巡る

7月7日のぶらっと内藤新宿の下見を兼ねて新宿を散策。

 

1.多武峯(とおのみね)内藤神社「駿馬伝説」

 

徳川家康が江戸入府して、家臣の内藤清成を呼び、現在の新宿御苑一帯を示し、「馬で一息に回れるだけの土地を与える」と語ったという伝説があります。

 

その時、清成の乗った馬は南は現在の千駄ヶ谷、北は大久保、西は代々木、東は四谷を走り、帰ってきて疲れ果てて死んでしまい、大樫の下に埋められたと伝わります。

 

後に内藤家の森林の管理役だった中家休昌と木下正敷が文化13(1816)年8月に樫の古木の跡に塚を造り、駿馬塚の碑を建てました。

この碑はその後、明治5(1872)年に現在の地に移されたものです。

 

この馬が頑張らなかったら、内藤新宿はもっと狭い宿になっていて、現在の新宿の賑わいもなかったかもしれません。。。(笑)

 

  


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ぶらっと広島の酒都「西条」を巡る

広島の酒処「西条」を巡りました。

 

1.西条酒蔵通り 

 

広島の酒都「西条」にある酒蔵通り。

こちらには7軒の酒蔵が徒歩圏内にあります。

何とこんな狭い範囲に7軒もの酒蔵が密集している街は全国でもここだけとか。

 

明治・大正・昭和の風情ある酒蔵や建物が残る通りを街発見散歩です。

 

どんな酒蔵があるのかワクワクです。

 


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ぶらっと「江戸城跡」を巡る

本日の江戸時代の痕跡を巡る街歩きは江戸城跡(皇居東御苑)です。

 

1.大手門 

 

諸大名が威儀を正して登城した江戸城の正門。

慶長12(1607)年、藤堂高虎によって完成した後、元和6(1620)年の江戸城修築の際、伊達政宗によって、高麗門と渡櫓門(わたりやぐらもん)で構成された典型的な枡形門(ますがたもん)になりました。

 

現存する高麗門は、明暦3(1657)年の明暦の大火の後、万治2(1659)年に再建されたものです。
江戸時代の渡櫓門は、昭和20年の戦災で焼失しましたが、昭和41年の東御苑開園に伴い、昭和40年から復元工事が行なわれました。

 

(藤堂高虎)

この江戸城改築の功で慶長13(1608)年には伊予今治藩12万石から津藩22万石に加増転封され、今治城は高虎の養子・藤堂高吉を城代として治めさせています。

家康は藤堂高虎の才能を評価し、外様大名でありながら譜代大名格(別格譜代)として重用しています。

城攻めのうまさは逆に防御の堅固さにも通じる。

家康が命じた築城は伏見城・江戸城をはじめ、8か所、城の縄張は加藤清正と並び称されました。

 

家康死去の際には枕元に侍ることを許され、家康没後は第2代将軍徳川秀忠に仕えています。

 

 


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【第23回】ぶらっとロマン散歩「奥浅草・吉原跡」を実施しました!

2018浅草観音うら一葉桜まつり「江戸吉原おいらん道中」
2018浅草観音うら一葉桜まつり「江戸吉原おいらん道中」
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