赤坂のど真ん中に武家屋敷門??

今回は赤坂~虎ノ門周辺に残る江戸情緒を巡る散歩。

港区と言えば、お洒落な雰囲気を想像しますが、しっかりと江戸時代の遺構が残っていました。

 

 1.山脇学園「武家屋敷門」

 

大都会赤坂のど真ん中に武家屋敷門?? 

これは江戸城大名小路(現丸の内東京郵便局付近)にあった老中屋敷の表門。

 

文久2(1862)年の火災後、当時、老中だった本多美濃守忠民(三河国岡崎藩)により再建されたもので、当時は五十八間(約120m)にも及ぶ長大な長屋門でしたが、左右両側が切り縮められ、門と左右番所のみが移築されています。

数少ない江戸城下の大名屋敷遺構の中でも、五万石以上の諸侯または老中職に許された長屋門の形式を持つ珍しい遺構です。

 

山脇学園のホームページを見ると、千葉県九十九里町の山脇学園 松籟荘内にあった「重要文化財 武家屋敷門」を本校建て替え工事に合わせて、平成26年12月より赤坂の本校敷地内に移築工事が始まり、9月末に竣工式が行われたとありました。

  

始業式などの節目の行事の際は、生徒たちはこの武家屋敷門から登校し、新たな決意を胸に襟を正してこの門をくぐるそうです。

 

 


大岡越前守御廟
大岡越前守御廟
霊狐塚
霊狐塚

2.豊川稲荷東京別院

 

正式には妙厳寺(みょうごんじ)東京別院。

神仏分離の際、祭神は稲荷神ではなく、吒枳尼真天(だきにしんてん)であるという理由で分離を免れました。

 

もとは西大平藩主となった大岡忠相(越前守)が、豊川稲荷を勧請し、屋敷稲荷として自邸で祀ったことに始まり、子孫の代に下屋敷が赤坂一ツ木に移ると一緒に移りました。

 

明治20(1887)年に境内が手狭のため、青山通り北側の現在地に移転しました。

 

 


3.鈴降神社

 

本能寺の変直後、徳川家康が堺から命からがら三河に逃れる際、伊賀山中で観音堂の堂主から厨子に納められていた三個の鈴を受けとり無事戻ることができたことから、江戸開府後、伊賀衆を四谷に住まわせて伊賀組の鎮守として創建したと伝わります。

 

元禄8(1695)年、社地が御用地となり、当地へ遷座。

関東大震災で社殿が壊れ、大正14(1925)年に赤坂氷川神社境内の四合(しあわせ)稲荷に合祀されましたが、現在でも住宅地の真ん中に小さな祠が残っています。

 


4.報土寺「築地塀」

 

慶長19(1614)年に永受法師により創建。

永受法師は越前朝倉義景の末裔、義景が出陣の時、いつも兜に入れていたと伝わる「阿弥陀如来銅像」を携えてこの地に落ち延びたと伝わります。 

 

創建当初は赤坂一ツ木大沢の里(現赤坂五丁目付近)でしたが、幕府の用地取り上げにより、安永9(1780)年、三分坂下に移転し、現在に至っています。

 

江戸屈指の急坂である三分坂が始まる場所にあり、築地塀が見事です。

この塀は安永9(1780)年頃のものらしい。

 


5.勝海舟邸跡

 

安政6 (1859)年、軍艦操練所頭取となった勝海舟が明治元(1868)年まで移り住んだ屋敷跡。

 

海舟は安政7(1860)年、幕府海軍の軍艦頭取 咸臨丸館長として、上司の軍艦奉行木村攝津守や福沢諭吉らを乗せ、正使の外国奉行 新見豊前守を乗せた米艦ポーハタン号に先行して渡航、日本の艦船として太平洋横断・往復に成功しました。

 

文久2(1862)年、海舟を刺殺しようとしてここを訪れた(諸説あり)坂本龍馬らに世界情勢を説明し、決意を変えさせ、逆に熱心な門下生にしたのもここです。 

 


6.氷川神社

 

天暦5(951)年、武州豊島郡一ツ木村(人次ヶ原)に祀られ、1000年以上の歴史があります。

 

江戸時代、8代将軍 徳川吉宗が享保元(1716)年、将軍職を継ぎ、同14(1729)年に老中岡崎城主水野忠之に命じ、現在地(忠臣蔵・浅野内匠頭の夫人、瑶泉院の実家・浅野土佐守邸跡)に現社殿を建立、翌15(1730)年4月26日に遷座が行われ、28日に将軍直々のご参拝がありました。

 

社殿は、安政の大地震・関東大震災・東京大空襲の被災を奇跡的に免れ、江戸時代当時のままの姿を残しており、東京都重要文化財に指定をされています。

 

勝海舟が名付けた「四合(しあわせ)稲荷」も祀られています。

 

(浅野土佐守邸跡)

浅野家の本家は安芸広島四十二万石の大藩で、その支藩、備後三次三万石の浅野家から、播州赤穂城主 浅野内匠頭長矩は、夫人阿久理(のち瑶泉院)をめとります。

江戸城松の廊下で刃傷事件を起こした長矩が35才で切腹したあと、江戸本邸を引き払い、現在氷川神社になっている実家(浅野土佐守)の中屋敷に移り、43才まで長矩の菩提を葬いつつ、静かに余生を送りました。

瑶泉院が亡くなった後、後継がいないことから領地は本藩に吸収され、空閑になったこの地に吉宗が氷川神社を建てました。

 


7.旧氷川小学校跡「勝安芳邸跡」「勝海舟・坂本龍馬の師弟像」

 

勝海舟は23才で結婚した翌年に、赤坂で最初の赤坂田町中通(現在のみすじ通りあたり)に引っ越しました。

その後、安政6(1859)年の36歳から明治元(1868)年の45歳までは、本稿5.にある勝海舟邸跡(赤坂氷川神社の下)に住んでいました。

そして、徳川慶喜とともに静岡に移住した後、明治5年に再び東京に戻った際に、ここに住み晩年を過ごしました。

 

海舟が亡くなった後、屋敷跡は昭和2年に東京市により小学校用地として購入され、平成5年春まで氷川小学校として使われました。

 

石碑の脇に大きな銀杏がありますが、この銀杏は、海舟邸の中心部にあったものを移植したものだそうです。

また、建物の中には、海舟邸を発掘調査した際に出土した陶器類が展示されています。

 

平成28(2016)年には赤坂に縁のある勝海舟と坂本龍馬の師弟像が建立されました。

この像が東を向いているのはアメリカの方角だからだとか。。。 

 

 


8.ドラマ相棒「花の里」の入口

 

江戸情緒とは外れますが、赤坂を歩いていて、おやっと思う場所に遭遇しました。

ドラマ相棒の最後のシーンで水谷豊さん演じる杉下右京がくつろぐお店「花の里」の入口を撮影していた場所らしいのです。

 

右京さんが相棒や警察関係者とお酒を飲みながら打ち合わせをしたり、仕事の疲れを癒す場所です。

前seasonの最終回で花の里ロスから右京さんは推理力がスランプに陥ってしまうほどでした(笑)

 

どうやら次のseasonでは花の里から「こてまり」にお店の名前が変わり、森口瑤子さんが女将さんとなるようなので、また右京さんの鋭い推理が見られることでしょう(笑)