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『桜が咲き誇る季節に、日本橋をぶらっと散歩』 [日本橋] 慶長8(1603)年に初代の木造橋が架けられ、翌年五街道(東海道、中山道、日光街道、奥州街道、甲州街道)の起点となりました。 日本橋から東隣の江戸橋にかけては魚河岸が賑わい、白木屋や越後屋などが建ち並ぶ、江戸随一の繁華街でした。...
江戸幕末維新 · 2020/11/02
1.浜離宮恩賜庭園 寛永年間(1624~1644)まで、この地は徳川家一門の鷹狩場で一面、葭原が広がっていました。 三代将軍家光の三男で甲府を領した徳川綱重が承応3(1654)年、後に甲府浜屋敷と呼ばれる別邸建設に着手します。 その後、綱重の長男綱豊(家宣と改名)の六代将軍就任後、徳川将軍家の別邸となり「御浜御殿」と呼ばれました。...
江戸幕末維新 · 2018/11/26
11月25日(日)、ぶらっと江戸下町散歩「佃・月島」を実施しました! 《佃島と月島の歴史》 1582年に起こった本能寺の変、話はここまでさかのぼります。 この直後、徳川家康は岡崎城に戻ろうとしますが、摂津国西成郡佃島で難渋します。 その時、近くに住んでいた佃村の漁師が漁船と保存食の小魚煮を用意して、家康一行が逃げるのに協力しました。...
「銀ブラ」、今でもこんな風にいうのでしょうか。 そんな銀座のなかでも「THE 昭和」を感じられる場所を探して街発見散歩。 1.交詢社ビル 明治13(1880)年に福沢諭吉が提唱して、結成された日本初の実業家社交クラブが「交詢社」 その名前の由来は「知識ヲ交換シ世務ヲ諮詢スル」に由来します。 その後、法人制度改革により一般財団法人に改組されています。...
東京のど真ん中、銀座1丁目から8丁目まで、ぶらっと散歩。 といっても、出来るだけ人通りの少ない、レトロを感じる場所を選んで歩きました(笑) 1.京橋 慶長8(1603)年創建と言われる日本橋とほぼ同時期に架けられたと伝わります。 昭和38~40年の京橋川埋め立て工事に伴って撤去されましたが、その当時の ”石造りの親柱二基” と...
美味いもの巡り · 2018/09/17
1.月島といえば、もんじゃ 次々回のぶらっと散歩の下見で月島へ。 娘が「ご飯付き合ってもいいよ」というので一緒に、海鮮もんじゃとお酒がウリのお店へ。 実は私、外でもんじゃを食べるのは、2回目、もんじゃ初心者です(笑) 前のブログにも書きましたが、ここ月島は銀座から約2kmの距離で、この雰囲気。...
江戸幕末維新 · 2018/08/14
1.佃島と月島の歴史 この情景「船溜まりと高層マンション群のコントラスト」が堪りません。 銀座から、たった2kmの場所で、この雰囲気。 これも東京という街の魅力ですね。 さて、佃島は元々あった島を埋め立てにより拡張した島でした。(現在の佃一丁目辺り) 佃島は江戸時代、漁村で、住民は徳川家康の命で、大阪の佃村から移住してきた漁民です。...
≪築地の由来~江戸時代≫ 1.築地本願寺 元和3(1617)年、浅草横山町に建立され、「浅草御堂」と呼ばれました。 しかし、明暦3(1657)年の明暦の大火で本堂を焼失。 その後、幕府による区画整理のため、旧地への再建が許されず、代替地として「八丁堀沖の海上」が下付されました。...
先日ご案内した12月16日(土)開催予定のぶらっと東京食べ歩き 築地「文明開化・昭和レトロの街」のランチ内容を変更します。 この頃、特に寒い日が続きますので、歩いた後は温かいものがいいですよね。 そこで、あったか鍋「鯛ちり鍋」メインの料理に変更します。 「鯛」のふわっとした身や白菜他の野菜を ”はふはふ”...
1.築地本願寺と築地の歴史 元和3(1617)年、浅草横山町に建立されたが、明暦3(1657)年の明暦の大火で本堂を焼失。 その後、幕府が区画整理のため、代替地として用意したのが八丁堀沖の海上でした。 そこで佃島の門徒が中心となり、本堂再建のために海を埋め立てて土地を築き(この埋め立て工事が地名「築地」の由来)、延宝7(1679)年に再建されました。...

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