【第6回】ぶらっと東京食べ歩き「神楽坂」(1/8)実施報告

 

今回で6回目になる「ぶらっと東京食べ歩き」

 

過去5回の内2回が雨

当日の天気予報では12時頃から、またもや雨

今回もかと思ったが「晴れ女」のお客様がいて、なんとかランチまで、雨となることはなかった

本当に感謝です!

 

山の手のお洒落な雰囲気と下町の人情味が融合した ”大人の粋” を感じる神楽坂を満喫する街歩き

 

今回参加頂いた7名の内、5名が初参加というメンバーでスタート

 


1.秋葉神社 正雪地蔵

 

 小浜藩酒井家屋敷内にあったものが、酒井家が移転した時に、町内に譲られたもの。

 

近くに慶安の変の首謀者 由比正雪の屋敷があったことから結び付けられたと言われている。

 

他にはキリシタン灯篭ではないかとも言われている。

 

「眼病みの地蔵様」として信仰を集めている。

 


2.AYUMI GALLERY

 

 1984年の開廊以来、造形活動の発表の空間として、神楽坂を訪れる人が気軽に立ち寄れる場所。

 

建築家 高橋博によって自身のアトリエとして1953年に建てられた。

 

2011年には「登録有形文化財」に指定された。

 

 


3.赤城神社

 

14世紀、群馬県赤城山の豪族 大胡氏が光照寺付近に牛込城を築いたのが神楽坂発展の始まり。

 

その大胡氏(後の牛込氏)ゆかりの神社。

 

現在は近代的な神社に生まれ変わったが、それを手掛けたのが建築家 隈 研吾氏。

(GINZA KABUKIZA、KITTE、新国立競技場を設計)

 

この神社にトイレがないのが残念。

 

 

 

 


4.芸術倶楽部跡・島村抱月終焉の地

 

 演出家 島村抱月が女優 松井須磨子と共に、大正2(1913)年に創設した芸術座の拠点 芸術倶楽部の跡。

 

抱月は大正7(1918)年、スペイン風邪をひき、須磨子が必死で、この倶楽部の一室で看病したものの、亡くなる。

翌年、須磨子はこの抱月の後を追った。

 

激しい「愛」を演じ続け、最後まで貫き通した。



5.花豊

 

 創業1835年、東京で一番古いお花屋さん、現在は6代目。

 お店の横に屋号「花屋豊五郎」の石碑がある。

 

 その昔、酒井家に花を届けに行った時、客間に飾るものなので、玄関から入ったとのこと。

 それが先代の自慢だそうです。 

 


6.寺内公園(行元寺跡)

 

 行元寺は鎌倉時代からの天台宗の寺。

 明治末に品川区西大崎に移転。

 

 行元寺境内の一部が武家の貸地になる。

 その後、幕府非公認の岡場所が出来てくる。

 そして、明治へと移るにつれ、この一帯は花柳界へと発展していく。 

  

 この辺りには落語家の柳家金語楼やその息子山下敬二郎、若山富三郎、勝新太郎も住んでいた。

 

 この辺りに「江戸の粋」の発祥の地があったのだ。

 


7.兵庫横丁

 

 石畳、黒塀、見越しの木々と、最も神楽坂らしい場所。

 

 「兵庫」の名は中世期にこの辺りが武器・兵器の郭だったことからきている。

 

 神楽坂と言えば、このあたりの写真がよく出てくる。 

  

 

 

 


8.光照寺(牛込城跡)

 

 戦国時代の牛込城跡。城主は群馬の豪族 大胡氏。

 三代にわたって、居城をここに築いた。

 後に牛込氏を名乗るようになる。

 

 その後徳川家康が江戸へ入ってきたとき、徳川家の家臣となる。

 家光によって移封され、1645年光照寺が神田から移転してきた。

 

 


9.毘沙門天善國寺 石虎像

 

 創建は文禄4(1595)年、日蓮宗池上本門寺の末寺でこの地に来たのは寛永4(1792)年。

 

 この頃に始まった縁日は大変な賑わいだった。

 縁日に夜店が出るようになったのは神楽坂が発祥と言われている。

 

 右側に鎮座している虎石像の台座に「不」の形がある。

 これは地図測量史跡の几号水準点である。

 地理局所在地「牛込神楽坂善國寺毘沙門堂虎石台十八・八メートルとなっている。

 「不」の横棒が標高を表している。 


10.ランチ 別亭鳥茶屋 うどんすき

 

  昭和28年創業の関西料理うどん会席のお店。

 

 うどんは、よく煮ても型崩れしないように極太である。

 

 関西風の透き通った出汁に野菜と鶏肉。おもちも入っている。

 

 当日は寒かったので冷えた体にしみる。

 

 ランチ終了後、店を出ると雨が。

 やはり、雨男パワーは健在だった。。。

 

 

 


当日、皆さんに出したクイズです、何問答えられますか?

 

1.神楽坂

  神楽坂通りの先は○○道に通じている。

  ①上州道 ②東海道 ③甲州街道

 

2.寛永13(1636)年、道幅○mの御成通り(現神楽坂通り)が造られた。

  ①3m  ②8m  ③12m

 

3.大正12(1923)年、関東大震災が東京を襲ったが、幸い神楽坂は被害も少なく、三越、高島屋、白木屋のデパートや資生堂が店舗を出した。銀座や浅草が復興するまで、大勢の人が神楽坂に集まり、○○銀座と呼ばれた。

  ①神楽坂 ②牛込 ③山の手

 

4.秋葉神社 正雪地蔵

  正雪地蔵は「○病みの地蔵様」として矢来町住民の信仰を集めている.。

  ①脚 ②眼 ③歯

 

5.赤城神社は天和3(1683)年に幕府により、○○神社、神田明神と共に「江戸三社」に列せられた。

  ①日枝神社 ②愛宕神社 ③花園神社

 

6.島村抱月終焉の地

  松井須磨子は遺書を残したが、その内容は?

  ①財産を母親に渡してほしい、②自分が死んだあとは抱月の墓に入れて欲しい、③自分のわがままを父親に謝っておいて欲しい老蔵

 

7.寺内公園(行元寺)

  花街(かがい)の始まりは行元寺の境内の一部が武家の貸地にしたことに始まる。ここに寺僧相手の遊行の場、いわゆる非官許の遊里である岡場所が発生した。この岡場所で遊ぶことを「金銀○○」と称した。

   ①山猫 ②海猫 ③石寅

 

8.光照寺(牛込城跡)

  江戸時代初め、牛込城が取り壊された理由は?

   ①謀反の恐れがあった ②勝手に城を修理した、③牛込城が江戸城を見下ろす位置にあり、近すぎた

 

9.毘沙門天善國寺

  本堂の前に狛犬ではなく、○石像がある。

  ①猫 ②虎 ③狼

 

10.松ヶ枝跡田中角栄

  田中角栄は奥さんに3つの誓約をさせられた。(1)出ていけと言わない、(2)足蹴にしない、(3)○○

  ①将来、角栄が二重橋を渡ることがあったら、同伴すること ②浮気はしない、③自分の父母を大事にする

 

11.縁日

  大正15年に千葉県で起こった殺人事件の犯人が鬼○と言われて新聞をにぎわしていた。その紙上に掲載された犯人の写真がこの店の主人にそっくりだったため、これを逆手にとって夜店の屋台に「○公焼」と看板を掲げていた。

  ①寅 ②猫 ③熊   (○公焼:どら焼きに似た卵入りの四角い皮にあんこをのせて焼いたもの)

 

12.牛込見附門

   寛永13(1636)年、○○が請負い、牛込橋とともに完成されました。

  ①阿波徳島藩 蜂須賀忠英(ただてる) ②若狭小浜藩 酒井忠勝、③武蔵国忍藩(おしはん)

 

さて、何問できましたか?

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                                                                    以上