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ぶらっと途中下車「彦根城」!

彦根城博物館「井伊の赤備え」
彦根城博物館「井伊の赤備え」

娘と一緒に帰京の途中、彦根でぶらっと途中下車。

 

彦根城は娘も私も初めて。

天守が国宝指定された5城の一つ。

(他は犬山城、松本城、姫路城、松江城) 

 

期待に胸膨らませて、いざ出陣!

 


2.彦根駅前「井伊直政公之像」

 

井伊直政は永禄4(1561)年、現在の静岡県井伊谷生まれ。

命を狙われた直政(幼名寅松)は一時出家させられたが、家康に見いだされ、井伊に復することを許され、家康の小姓として取り立てられていく。

 

慶長5(1600)年、徳川四天王の一人として天下分け目の関ケ原の戦で功をあげ、石田三成の居城であった佐和山城を与えられ、十八万石の大名となる。

 

その後、城を現在地の彦根山へ移そうとしたが、同7(1602)年、四十一歳で病没し、子らが直政の遺志を受け継ぎ二十年の歳月を費やし元和8(1622)年、彦根城を完成させました。

 

2017年の大河「おんな城主 直虎」では 直政の役は菅田将暉さんが演じていました。

 


中掘
中掘
佐和口多聞櫓
佐和口多聞櫓
昭和35(1960)年に再建されたもの、現在は開国記念館
昭和35(1960)年に再建されたもの、現在は開国記念館

3.いろは松を眺めながら、佐和口まできました。

 

佐和口は中堀に開く4つの口の一つで、いろは松に沿った登城口の正面にあり、かつてこの中堀に接して高麗門があり、その内側に櫓門がありました。

 

掘と石垣が城見学の醍醐味の一つ。

やはり、掘が残っていると違いますね。 

 


4.登り石垣

 

登り石垣とは豊臣秀吉の朝鮮出兵の際、朝鮮半島の倭城の防備を固めるため、採られた石垣普請の手法で、文字通り山の斜面を登るように築かれた石垣のこと。

 

彦根城には「登り石垣」が5か所あり、間近で見るとかなりの迫力。

 

日本では洲本城(兵庫県)、松山城(愛媛県)など、限られた城にしか見ることができないそうです。 

 


側次 紺地波に仙島文様
側次 紺地波に仙島文様
刀 銘 備州長船永光作
刀 銘 備州長船永光作

5.彦根城博物館

 

(側次 紺地波に仙島文様)

中国・清で作られた官服を仕立て直した作品。

側次と呼ばれる能の装束の一つで、略式の甲冑姿の武士や唐人の役に用いられました。

 

本作は艶のある「繻珍」という生地に、糸を部分的に織り込んで文様を表現する縫取織で色鮮やかな模様となっています。

 

(刀銘 備州長船永光作)

井伊家8代直定の指料と伝わり、磨上げられて短くされ、脇指として使われました。

茎(なかご)の裏には永享2(1430)年2月と刻まれています。

 

永光は備前国長船派の刀工ですが、数代続いているようです。 

  


6.彦根城博物館「表御殿奥向きの復元」 

 

表御殿は彦根藩の政務や公式行事を行う「表向」と藩主が生活する「奥向」から成る。

 

藩主の居間「御座之御間」は庭園に面して建てられており、藩主がくつろいだ雰囲気が伝わります。 

 

 


7.京橋口門

 

第2廓の重臣屋敷と第3廓の本町筋の間にあり、内堀の大手門にも通じる位置にありました。

門の内側にあった桝形にはかつて中堀に接して高麗門があり、その内側に櫓門が築かれていました。

 

 


8.大手門橋、大手山道

 

彦根城の現在の正門は「表門」になっていますが、当時は大手門でした。

築城当時、大坂城があった西向きに大手門を作り、豊臣氏滅亡後は表門が実質の正門になったとも言われています。

 

大手門橋を渡ると、まっすぐな階段の大手山道が目の前に現れます。

疲れた体には結構効きました・・・(笑)

 


9.天秤櫓 

 

表門と大手門からの山道が合流する位置に築かれており、文字通り天秤のような形をした櫓。

均整の取れた美しさと堅固さを併せ持っています。

 

廊下橋から見て右側は築城当時の牛蒡積み(ごぼうづみ)、左側は1854年の大改修の時、積み替えられた落とし積みになっています。

 

建物の内部に入ることが出来ます。

 


10.天守 

 

いよいよ天守です。

天守は三階三重で構成されており、屋根には「切妻破風(きりづまはふ)」、「入母屋破風(いりもやはふ)」「唐破風(からはふ)」を配しており、二階と三階には「花頭窓(かとうまど)」、三階には高欄付きの「廻縁(まわりえん)」を巡らせるなど凛とした美しい姿を見せています。

 

昭和32~35年にかけて行われた解体修理により、慶長11(1606)年の墨書のある建築材が見つかったことから、天守の完成が慶長12(1607)年頃だと推定されます。

 

井伊家の「井伊年譜」には「天守は京極家の大津城の殿守也」とあることから、彦根城の天守が大津城の天守を移築した可能性が考えられています。

 

一度も戦を経験することなく明治を迎えたこの天守は、藩主があまり訪れることはなく、歴代藩主の甲冑などが収納されていたようです。

 

 


11.キャッスルロードで近江牛ステーキランチ

 

初めて彦根まで来たからには、近江牛を食べないで帰ることは出来ません。

これだけ歩くと腹も減って、とにかく頭の中は近江牛に。

城を出た所にあるキャッスルロードを探索し、レストランへ。

 

頼んだのは近江牛ステーキ御膳と娘はローストビーフ。

(久しぶりの牛肉で、興奮状態にあったためか、ローストビーフの写真を撮るのを忘れました)

 

娘はローストビーフをペロッと平らげ、私のステーキにも手を出し半分くらい食べて、「お父さん、牛肉も美味しいね」と( ^ω^)・・・。

 

我が家では小さいころからあまり牛肉を食べさせてこなかったのです。

牛肉が高いこともありますが、カミさんも料理で牛肉を使うことが少なかったからです。

(例えばカレー、すき焼きは鶏肉、しゃぶしゃぶ、肉じゃがは豚肉など)

 

たまに霜降りの牛肉ですき焼きを食べると、なぜか家族全員、お腹を壊して順番にトイレに駆け込む有様。

 

それで、自然と娘たちは牛肉より、豚肉、鶏肉を好むようになっていたのです。

 

しかし、ついに娘は牛肉の美味しさに気がついたかもしれません。。。 

 

帰りの新幹線の中でビールと一緒に食べようと買った「近江牛が中に入った玉子焼き」、これが実に美味かった。

牛肉の旨味と玉子が、からむとこんな感じになるのか、、

 

自分ばかり楽しんでも心が痛みますので、カミさん、もう一人の娘へのお土産として、近江牛のみそ漬を買って帰りました。

また、牛肉か・・・(笑)