龍馬の許嫁が住んだ町「北千住」をディープにぶらっと散歩

千葉佐那 千葉灸治院跡(昭和42~3年頃)
千葉佐那 千葉灸治院跡(昭和42~3年頃)

先日、南千住あたりを歩いたので、今週はお隣の「北千住」をぶらっと散歩

 

こちらには私の大好きな「坂本龍馬」に関係する場所があります。

 

龍馬が初めての江戸剣術修行に来たとき、お世話になった「桶町千葉定吉道場」。

そこの娘「佐那」との運命の出会い。

しかし、龍馬はおりょうと結婚し、非業の最期を遂げてしまいます。

 

龍馬の死後、佐那は学習院女子部の舎監となり、その後、ここ千住の町で千葉灸治院を開業し、生計を支えながら暮らし、明治29(1896)年10月15日59歳で亡くなりました。

 

龍馬は姉乙女にあてた手紙の中で、佐那のことを幼なじみの平井加尾より少しよいと伝えています。

 

残念なことに、いまだにこの佐那の写真は世の中に出ていません。

龍馬を取り巻く人の中でミステリアスな一人と言えるかもしれません。

出来ることなら、写真が見つかって、その顔を一度見てみたいと思います。

 

 


千住の宿は江戸時代、日光道中の初宿として栄え、飯盛女という非公認の遊女も多くいました。

 

2.金蔵寺

安政2(1855)年10月2日の安政の大地震で犠牲となった引き取り手のない遊女の遺骸は、この金蔵寺に投げ込まれました。

 

こちらの「南無阿弥陀仏」と刻まれた遊女供養塔が幕末の闇の名残を留めています。 

墓の台のところに「大黒屋」と言う店名と遊女の名前を見ることができます。

 

 


3.不動院

 

先ほどの金蔵寺の近く、不動院にも千住宿旅籠屋一同が、万元(1860)年に建てた「無縁塔」と彫られた遊女の供養塔があります。

 

 


三沢初子像
三沢初子像

4.奥の細道「矢立初芭蕉像」

 

千住は奥の細道への旅立ちの地であり、矢立初の句「行く春や啼き魚の目は泪」が残されています。

 

 


冨嶽三十六景「従千住花街眺望ノ不二」
冨嶽三十六景「従千住花街眺望ノ不二」

5.千住大橋

 

最初に架橋されたのは、徳川家康が江戸に入府して間もない文禄3(1594)年11月のことで、隅田川最初の橋でした。

当初の橋は現在より200mほど上流のところにあったそうです。

 

江戸時代には日光参詣の旅人や、東北諸藩の参勤交代などで賑わいました。

 

明治元年4月11日、徳川慶喜は水戸で謹慎するため、この橋を渡りました。

どんな思いで渡ったのでしょうか?

 

その後、橋は何度か改架、改修され、現在の鉄橋は関東大震災の復興事業の一環として、昭和2(1927)年に架橋されたものです。

 

現在、北岸は足立区千住橋戸町、南岸は荒川区南千住六丁目、区境となっています。

 

 


6.橋番付

 

江戸後期に作られた橋の番付表。

 

千住大橋は日本の橋の中で「行司役」とされています。

 

江戸時代はこのように何でもランキングしていたんですねぇ(笑)

 

 


7.橋戸稲荷神社「左官職人 伊豆長八 コテ絵」

 

延長4(926)年創建と伝わる。

初めは千住の渡し場の付近に小さな社が造られ、土地の開拓農民や荒川の上流から江戸に荷物を運ぶ船頭たちの信仰を集めました。

そして、延徳2(1490)年、この地の半農半漁の開拓民が稲荷を勧請し、創建されたといいます。 

 

文久3(1863)年本殿の前扉に、当時コテ絵の名工として有名だった伊豆長八の創作で白狐が彫刻されました。

 

 


8.みたらし団子

 

ちょっと小腹が空いたので、途中の商店街で購入した「みたらし団子」を食べ歩き。

 

こういうちょっとした食べ歩きはケーキじゃなくて、お団子がいい(笑)

 

 

最初の話(千葉佐那)のことを想いながら、団子をいただく。

 

龍馬の形見として残っていた羽織の端を抱いて「私が坂本龍馬の妻です」と話していた佐那。

一時、別の方と結婚したという説もあるようですが、やはり佐那は龍馬の妻として最後まで生き抜いたのではないだろうか。

 

もっと知りたくなる。

写真、見たいなぁ。。。