渋谷 昭和レトロ物語

昭和32年のハチ公 出典:渋谷の記憶Ⅲ
昭和32年のハチ公 出典:渋谷の記憶Ⅲ

1.ハチ公物語

 

ハチ公は大正12年11月、秋田県生まれ。

東京の飼い主 東京帝国大学上野教授宅には大正13年1月に来た。

現在の東急百貨店本店の近くである。

上野博士は翌年大正14年5月に急死したので、共に生活したのは、わずか1年5ケ月だった。その間、博士はハチ公に人間に対する以上に深い愛情を注いだ。

博士亡き後、ハチ公は奥様の実家世田谷で飼われていたが、馴染めなく、鎖を切り離して渋谷駅に来ていた。困った奥様は植木職人の小林家に預けたが、やはり居つかず、昭和6・7年頃は渋谷駅長に飼われていたという話もある。

初めてハチ公が世間に知られたのは昭和7年10月4日付朝日新聞に「渋谷駅で亡き主人を待ち続けるハチ公」の姿が紹介されてからである。

最初の銅像が立ったのは昭和9年4月21日、まだハチ公が生前中に建てられた。

その翌年昭和10年3月8日、渋谷区中通り3丁目で死んでいるのが発見された。

生前、上野博士を慕い、他の誰にも飼われることを嫌い、渋谷駅で亡き主人を10年近く待ち続けた、忠犬ハチ公の最期だった。

 

 

 


初代は昭和19年の金属供出のため、撤去された。昭和23年に再建された2代目は何回か移転したが、平成5年に現在の場所に落ち着いた。今は元通り改札口に向かって立っている。

忠犬ハチ公の碑は青山霊園内の上野博士の墓の脇に寄り添うように立っている。

現在のハチ公
現在のハチ公

昭和33年の渋谷百軒店 出典:渋谷の記憶Ⅲ
昭和33年の渋谷百軒店 出典:渋谷の記憶Ⅲ

2.渋谷百軒店

 

昭和33年頃(小生が生まれた年)の渋谷百軒店の街並み。

大正12年の関東大震災の直後、この土地を所有していた箱根土地(株)によって、造成され名店街「百軒店」が出来た。ここには映画館もあり、多くの人で賑わっていた。この石畳の道が今も面影を残している。

 


3.上記昭和33年頃の百軒店にあった

「名曲喫茶 ライオン」

 

何と現在も堂々と同じ場所にあるのだ!

入ると、そこは厳かな雰囲気で、とにかく音を出してはいけない。注文を頼む際も、思わず小声で頼む。

ここの音響装置はそりゃあスゴイのだ。

また内装も昭和にタイムスリップしたような感じ。

ゆったりとクラッシクを聴きながら珈琲を飲む。最高に贅沢な時間を過ごすことができる空間だ。

パンフレットを見ると「冷房完備」とある。当時、冷房があるのは特別だったのだろう・・・


4.百軒店にある印度料理「ムルギー」(昭和26年創業)

 

この店も小生が生まれる前からあったのだ!

ここはあの池波正太郎が役所勤めをしていた頃、当店のカレーを愛して、通っていたとの逸話があるお店

木を基調にした調度や内装は思いっきり昭和の香りがする雰囲気

 



玉子入りムルギーカレー

 

見た目もインパクトがある

山のように盛られたライス

ルーは肉や野菜が形をなくなるまで、よく煮込まれており、

若干の苦みがある。

トッピングはケチャップのかかったゆで玉子

この玉子と一緒にルーを頂くとまろやかになり、

苦みもちょうどいい感じになる 

 

 

 

 

 

 

 


5.昭和のにおいがプンプン「のんべい横丁」

 

ここは完全に時間が止まっている

昭和のまま残っているこの横丁

 

最近は外国人が多いらしい

海外ではこのような雰囲気を味わえるところは、少ないのだろう

 

渋谷と言えば、若者が闊歩する街を想像するが

この横丁も今の渋谷なのである